2015年7月1日水曜日

面倒面倒

冗談抜きに超限戦が始まった。

お江戸付近では新幹線。

当地でも、縄張りした奴がいて、車だったから被害者が出なかったが、単車だったらISと同じく首が飛んでた。

俺は無料サービスの情報屋でないので、文句言ってくる奴には放置プレーでスルーすることにしている。
以前からMLその他SNSの無償管理人というか、自分のフィールドを耕してきたが、勘違いが多くて困る。
お前さんらのなりわいをサポートしてるわけでも、エンタテイメントを楽しんでいるわけでもない。

超限戦となれば、命がけだ。
しばらく前まで、楽隠居と妄想してたが、状況は許さない。
信用システムは、政治経済個々の人間関係、その他もろもろで、ずたずたになるだろう。

お付き合いのあるセンス良しの仲間とどうすべいと語り合っている。
あじることは、危険増大させるから、四畳半ムードモードでやるかというのが今。
もうすぐ交通その他もタイトになるだろうから、いまのうちにと、セルフ自動車学校っぽいことなどにも精励している。
実務家諸氏が、どう超限戦に対応すべく準備しているかがよく見える。
能天気なおかたがたには、自分でバンバンしてくれと言い残すばかり。

ちゅらちゅらちゅらちゅららー♪

月末の〆、忙しく後ろに。
クライアントとは、半年ぶりのラポール月。
まあ、大丈v
急にロシア民謡うたいたくなり。
以下にアップ。
日曜日に市場へ出かけ 糸と麻を買って来た
テュリャテュリャテュリャテュリャテュリャテュリャリャー
テュリャテュリャテュリャテュリャーリャー
月曜日にお風呂をたいて 火曜日はお風呂に入り
テュリャテュリャテュリャテュリャテュリャテュリャリャー
テュリャテュリャテュリャテュリャーリャー
水曜日に友達が来て 木曜日は送っていった
テュリャテュリャテュリャテュリャテュリャテュリャリャー
テュリャテュリャテュリャテュリャーリャー
金曜日は糸巻きもせず 土曜日はおしゃべりばかり
テュリャテュリャテュリャテュリャテュリャテュリャリャー
テュリャテュリャテュリャテュリャーリャー
友達よこれが私の 一週間の仕事です
テュリャテュリャテュリャテュリャテュリャテュリャリャ
テュリャテュリャテュリャテュリャーリャー
今日、今週、今月、今年も生きるぞ。
  • イクオ タケナカ
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死の刺、あるいは業務連絡

人生いろいろ~♪
男もいろいろ、女もいろいろ~♪

こんな手慰みを昨日はアップできなかった。
危機を噂されるシャープの製品。
pcz1。
ザウルスに通信機能のついたpda。
OSは、LinuxのUbuntu。

中身もサポートも進化しない。
おらが窓口の窓際サポーターも自認している。
それでもアマゾンに在庫があり購入。
今日はおいらがちょい進化したもので遊べている。

SNSの管理者とのバーチャルチェイス。
実は超限戦の一展開態様と判明。
大量の「友達」を持つ漢字の男が、極少数のネット知己を持つ男に変じたが、徐
々に知己も増え、また壁にもぶつかることとなる。

ハブのSNS以外も、世界的な超限戦的ゆらぎの中で、認証を厳しくし、なりす
まし人士の跳梁跋扈を防がんとするがごとく。
携帯スマホに認証を集約すれば割と確実に誰何をまぬがれるが、一個の機器で生
活する常民には集中させすぎ盗難紛失時のリスクが大きくなりすぎる。

フェイスブックのミニ庵主に転じた小生は、勉強会オフを考慮中である。
ネットで少数精鋭のフォーラムをと再起時に夢想した我なれど、やはり四畳半芸
でないと煩瑣でしようがない。
愛作画伯には、ぜひシネエデュケーションの研究会を提案したい。
最初は三人でこじんまりと始めていいと考え中。

若者かんちゃんには、冗談抜きにホームレス飯を食おうと誘うが、まじな反応に
乏しい。
残念。
漢方好きの篤学兄ちゃんとも、夕張で薬草なめたり、札幌で園まわり探検隊プロ
ポーズしたいが、お江戸で修行中でラポールうまくいかない。

真剣に己れらの労働を考えておられるらし、N兄、K兄も、奥座敷での加熱をお
それてか、ただの借りてきたおぢ状態。

そろそろフレイミングまでいかないが、お座敷全入もバッティングの懸念も出て
きた。
わし自身が超限戦整徐の工作をせねばなるまい。
こころあたりの諸氏は、連絡お待ちあれ。

言霊


朝早くfun to driveを楽しんだ。

わんこらを走らせるには雨が不都合だった。

わたしは運転が上手でない。

朝は車が少ないので練習にはなる。
もちろん、二十センチほど勘を狂わせると即あの世いき。
別にドメスティックアニマルだって、いつもスリルとサスペンスを堪能させても
らっている。

運転しながら復帰したSNS活動をおもった。
ささやかながら本務もある。
コンサルタント活動に必死の口糊気迫はないが、わが支えを読み込んでいるクラ
イアントもいる。
ただ、でめんとりだって遊び半分にいかぬ。
他人様の命と暮らしがかかっている。

しょせん趣味半分の言論活動といえ、超限戦の時代だ。
ずいぶんきな臭い噂を聞いたりする。
しかし、あまり神経質になると進まない。

いままで独逸系の青年CEOの政治性と誤解していたが、出禁に近い強硬管理は超
限戦時代の常套手段だという。
携帯スマホ一機で一アドレスが基本で、あとは警察等に投げる。
だから詐欺師その他は跋扈跳梁が可能になる。

秘密のコミュを作ったがむつかしい。
ままよと員数を増やした。
いまオフとの協同を画策している。

わかる読者諸氏には、乞うご期待。

2015年6月28日日曜日

春ですね~♪夏ですね~♪

SNSで力んでいたら、実は方々でデフォルトのシステムになっているよう。

出禁の事情はこう。
すでに入っていたSNSから追い出されたと勘違いしていたが、何かの疑惑があれば上手に外に出す。
わしは、腹が立ったので、いろいろとトライしてみたら、再度入れた。
ただし、その手形に携帯スマホが使われる。
一応、金魚釣りのおまけ同様、携帯スマホ一個で一アドレス。

ということで、旧名は「もしかして死んだの?」状態。
多数の「友達」がいたが、死ねばいいのにって反応の外国事例がいっぱいあったというニュースも読んだことがあるが、日本はおぼこくてそういうことをしなくとも、「友達」外し、知らぬ状態は即時、都合の悪い人士ならブロックすれば、ご縁は雲散霧消。

そういう世界ではある。

別にどうでもよく、今は出禁で、六無斎の蟄居状態、林子平の変人生活を楽しんでいる。

奥座敷も四畳半モードムードで楽しんではいるものの、人生いろいろ。
男もいろいろ、女もいろいろ。
じっくりじっくり歩んでいこう。

春から夏へ~♪

独系総帥の弾圧と深読みしていた。

しばらく格闘してみて、どこも同じの門番作業と知った。

古い「友人」はあいつ死んだのか?と思ってるかも?

外国では自殺示唆したら、煽る「友達」もずいぶんといた事例もあるそう。

ある「友達」の訃報を知るも店晒し。
「友達」皆さま素知らぬかお。
小生思い余って遺族に連絡とり、善後策示唆。
礼も報告もないが、渡世の義理で気持ちはよい。
自分については期待しない。

先程も国家権力中枢と一丁噛みコミュニケーション。
超限戦時代の朝の、休日の勤行。
まあ生きてる証拠。

まずまず楽し。

2015年6月27日土曜日

好き好き好き好き~♪

好き者~♪

SNSでもザシキロウに入れられてもルンルン。

ロクムサイ林子平より自由。

ええ時代。
ええ人生や思います。

超限戦の時代再論

(超限戦の現代的意味)

超限戦という言葉をもう一度ウイキを介して確認してみよう。

『超限戦』(ちょうげんせん、中国語:超限战)とは1999年に発表された中国軍大佐の喬良と王湘穂による戦略研究の共著である。
中国空軍の喬良、王湘穂は、これからの戦争を、あらゆる手段で制約無く戦うものとして捉え、その戦争の性質や戦略について論じた。
本書の第1部は、新しい戦争についてであり、第2部では、作戦の新しい方法についての議論となっている。この中で喬良、王湘穂は、25種類にも及ぶ戦闘方法を提案し、通常戦、外交戦、国家テロ戦、諜報戦、金融戦、ネットワーク戦、法律戦、心理戦、メディア戦などを列挙している。そして、このような戦争の原理として、総合方向性、共時性、制限目標、無制限手段、非対称、最小消費、多元的協調、そして全ての過程の調整と支配を挙げている。
このような戦争は、別に中国に限らずグローバリゼーションの時代の戦争に特徴的なものであり、軍人と非軍人の境界もまたあいまい化する。したがって、本書は、単に戦争手段の多様化を示すだけではなく、それに対応した安全保障政策や戦略の研究の必要を主張している。

中国共産党論やウイトフォーゲルの東洋専制論はひとまずおいて、総動員型の戦争論としては悪くない発想だ。
シナだけでなく、アメリカだって昔から超限戦型に戦ってきた国だ。

中共空軍の超限戦発想は上記引用のとおりだが、地に足着くことを前提としていた昔は、空中戦は頼りない地に足着かぬバトルとされたが、いまや制空権をめぐって空中で覇を競う時代だ。

ウイットフォーゲルの東洋専制論も以下にウイキを引いておく。

カール・アウグスト・ウィットフォーゲル(Karl August Wittfogel, 1896年9月6日 - 1988年5月25日)は、ドイツで生まれアメリカに帰化した社会学者、歴史学者。ドイツ語風に「ヴィットフォーゲル」とも表記される。
フランクフルト学派の一員であったほか、東洋史、とりわけ中国研究において活躍し、「中心」「周辺」「亜周辺」といった文明における三重構造の概念を提示した。
現在のニーダーザクセン州に位置するヴォルタードルフで生まれた。フランクフルト大学で学ぶ。早くから社会主義運動に加わり、ドイツ独立社会民主党員をへてドイツ共産党員となった。1933年にナチスが政権を掌握すると一時投獄されるが、その後アメリカに亡命してアメリカ国籍を獲得した。このころ中国にも訪れている。第二次世界大戦後はパトリック・マッカランの委員会に加わるなど反共主義に転向し、ワシントン大学などで中国史を教えた。
青年期より中国に関心を抱き、中国の社会経済について研究を進め、官僚制の起源とされる四大文明が河川の流域に位置し水利事業と大規模灌漑農業に基づいた共通点から水力社会と名づけた。また、周辺民族が中国に同化されるという従来までの理解を改め、遼・金・元・清を「征服王朝」という概念を通じて考えた。
さらになぜ西洋や日本のようなウィットフォーゲルが文明の「亜周辺」と呼ぶ最も資本主義が発達した地域から離れた北アジア、中央アジアを抱えるソ連やモンゴル人民共和国から社会主義革命が起き、「亜周辺」の対極にある中華人民共和国、エジプト、イラク、インド、パキスタンなどは五カ年計画によって計画経済が敷かれ、非同盟を掲げつも中東戦争や印パ戦争ではソ連や中国と軍事協力するなどかなり似た体制をとってたかの問題に対し、アジア的生産様式の概念を利用して「アジア的専制政治」として説明した。ウィットフォーゲルのこの仮説はその理論通りにスターリンや毛沢東が自然改造計画や大躍進政策と称してダム建設や灌漑農業の集団化に邁進していた当時では反響が大きく、同じく中国を研究するジョゼフ・ニーダムからは反論を招いている。

さて、このような予備知識で、現代の超限戦的ありようを書いていく。

中国も中国だが、アメリカも中国によく似る。
民主主義を建前にするゆえ、今回の集団的自衛権騒ぎでも、あたかも立派な立憲国家のように勘違いしている連中もいるが、めちゃくちゃオポチュニスティック、ダブルスタンダード、陰謀論的国家である。

国是はマッチョな銃口主義。
だからライフルをはなせず、女性もデリンジャーを持つ。
共和党と民主党に別れ、わが国の中江兆民の描いたディベイト世界、三酔人のように語り合うかと見れば、さにもあらず。
党議拘束外し、多数派がつるんで攻め込んだりする。
内向のモンロー主義をとって、政府の費用もサスペンドする「立憲主義」をとるかと思えば、相手に手出しさせ、政治的な裁判所も口を出しにくい形で、犠牲まで出して反攻の形をとる。
だから陰謀論がよくでる。

こんなホンとは立憲主義とはほど遠い国にはさまれ、わが国もわが国なりの超限戦に突入している。
9条だって、1項を不戦条約に由来する侵略戦争の放棄とみて、2項はそういう侵略戦争用の軍事は持たないが、自己防衛には持つ。
そういうことでもオッケーで、だからこそ自衛隊も法制の中に組み込まれ、とうに法システムの一部になっているのに、「護憲派」もいままで税金ドロボー、その子弟など憲法で保障されている個人の人権を十分に蹂躙してきたのに、いまさら何が護憲だと、まさに聞こえませぬ。
とりわけ共産党など、米帝と罵り火炎瓶まで投げ、いまも天皇制反対となえ違憲のサボタージュ決め込み何が護憲だ。

学者らも、ムラ社会でスコラ論議を続ける。
イギリスは西洋的民主主義といわれながら不文の慣習憲法だ。
フランスは、民主主義となえ、ほんのこの前までギロチン残し、アルジェだかナイジェだか、外人部隊使ってすごい拷問などしてたので有名だ。
ドイツは占領下に憲法不可で基本法。
こういうことは決していわない。
ロシアだってソ連がこけるまで部厚な憲法もって、スターリンがメキシコに逃げた政敵トロツキーにピッケル落としする刺客を送っている。
中国も本気の人権派を戦車でひき殺し、いまもウイグルチベットでジェノサイドに手を染めている。
そういうこと無視して、どこが立憲主義だ。
わが国には太古より17条憲法があり、廃棄はされていない。
また、現代憲法は、第三者効規定やアファーマティブアクションで人権を実現化する発想があり、かびくさい権力掣肘の議論も非常にスコラ論議的だ。
そこまで人権派面するなら、中国の本気人権派と共闘して、キャタピラの下くらいまで行って欲しいもんだ。

日本にも多くの外国人が訪れる。
ネットでは、すぐ隣が外国だ。
だから毎日が超限戦。

わが日常も、超限戦テイスティングでSNSなどで一日が終わる。

2015年6月25日木曜日

超限戦の時代

このところこの言葉にはまっている。

もともとは次の通りである。
ウイキより・・・・。

『超限戦』(ちょうげんせん、中国語:超限战)とは1999年に発表された中国軍大佐の喬良と王湘穂による戦略研究の共著である。
中国空軍の喬良、王湘穂は、これからの戦争を、あらゆる手段で制約無く戦うものとして捉え、その戦争の性質や戦略について論じた。
本書の第1部は、新しい戦争についてであり、第2部では、作戦の新しい方法についての議論となっている。この中で喬良、王湘穂は、25種類にも及ぶ戦闘方法を提案し、通常戦、外交戦、国家テロ戦、諜報戦、金融戦、ネットワーク戦、法律戦、心理戦、メディア戦などを列挙している。そして、このような戦争の原理として、総合方向性、共時性、制限目標、無制限手段、非対称、最小消費、多元的協調、そして全ての過程の調整と支配を挙げている。
このような戦争は、別に中国に限らずグローバリゼーションの時代の戦争に特徴的なものであり、軍人と非軍人の境界もまたあいまい化する。したがって、本書は、単に戦争手段の多様化を示すだけではなく、それに対応した安全保障政策や戦略の研究の必要を主張している。

要は単に伝統的なドンパチだけでない、しっちゃかめっちゃかな総力戦ということである。

SNSでそういうところを見つけようとコミュニティを作ってやっていたら、不審な挙動と誰何され、あげく壁の外に放り出された。

最初は、エシュロンだ、コミンテルンの残党だ、ドイツの特務だと被害妄想していたら、なんのことはないどこもこのところ出入りが厳しい。
下手に動くと出入り禁止になる。
出禁になる前に入禁があってしかるべきと思ったが、自分も入って放り出され、戻ったら蟄居で出辛く、確かに出禁だと思った次第。

何があっても、生きていること自体が大儲けと思いつつ、こんなに生きにくければ子供に限らず人は増えん罠と思う一方、年寄りばかりなんでこう増えるのかとも思う。

歴史の曲がり角の変な逢魔が刻なんだろうと思うことしきり。

あーあやんなっちゃった驚いた~♪

SNSどこかひとつでなく、特に国際的に伸びのいいところほど、出入りが厳しくなりつつある。

云うことをきかないと出入り禁止。
出禁になると商売のハブを失う人々は文句も言いにくい。
マネロン禁止法等の発想で厳しくいいかげんを排するよう。
そのうちこのような超限戦mode & moodでえらいことになるかも。

浪人と浪人の日本刀持ってのすれ違いでなく、クルマとクルマ。
自爆テロも怖いの。
核兵器を宇宙向けて爆発させれば核の冬。

身近でもなわ張りで、すんでのところで首が飛びかけた。
自動車でなく、配達のにいちゃんだったら、ISの仲間入りだ。
こういう被害妄想、都市伝説、その他の不穏広がれば更に被害妄想を生む。

2015年6月24日水曜日

(超限戦の時代)


芥川賞のトップランナーの石川達三の作品に「不信と不安の季節に 1977.2 (文春文庫)」がある。

このところSNSに限らず、ゲートが厳しい。
某社のだれだれにいじめられたと騒いでいたのが、どこもそうと気付いた。

超限戦だ。
夫婦友達親子でもなりすましあり。

そうなりゃ最後は携帯やスマホがターミナルか。
そこまで詐取強奪されてたら警察に言ってねということだろう。

ホント大変な時代。

キナ臭い

それはなにかと尋ねれば~♪

それは怖くていえません。
露骨に言うと戦争です。
それも核戦争。
万に及ぶという核弾頭。
もちろんこれを投げ合う元気は、米中露その他どこにもありません。

軍事専門家に聞くと、最も怖いのは飛んで来る核弾頭じゃないといいます。
どこかの核保有国が上空に花火の如く打ち上げれば、えらいことになるそうです。
勿論これは当該国にとっても自殺行為。
核の冬は、衛星監視や相互破壊の核均衡などを吹き飛ばし、寒イボの地球博記念公園を現出します。

さすがにそんな気配はありません。

「ヒトラー最後の12日」では、ヒトラーがシュペーアにベルリンを焼けと命じますが、さすがに実行されず、ヒトラーやゲッペルスは家族で死し、命令通り遺体を焼くシーンも出てきます。
三島由紀夫は、エクボができた地球がきれいかどうかが問題だといい、小田実は核戦争で死ぬとは限らぬといい、畳の上で死にたいといい実際にそうなりました。

そんな大物語より、経済破綻から難民続出。
Africaのように海賊のコントロール、難民の整序が課題になるかもしれません。

中国のブラフだった超限戦が、古典的相貌を越えて、内外上下左右に噴出するだろう。
そういうことをホウバイとチャットしてます。

ほんに

面倒。

セキュリティ大事にしたげるとおいだされ。

ほんにあんたはん自身がスパムだなもし。

小松ちゃうわ~♪

電線音読ではない。

stockingが伝線したのだ。
その裂目から外に押し出されたのだ。

自分なりにハブにしてきたSNSだ。
マングースのいる島でbattleしたわけでない。
己の感覚からすれば穏当に暮らしていたのだ。

それをドイツ系の特務なのか、米国の工作か、トクアの残党か。
別に被害妄想を持つつもりも、都市伝説も、陰謀論も採るつもりもないが、放り出して鍵かけやがってという怒りは強い。

これを仕事のハブにでも使っていたら大穴あけかねない。
一般法人某の新田センセイ、黒川センセイ、留守にしてごみんね。
チョクメいただければIC、MTさせていただきます。

と言うことで、しばらく外でチュンチュン躍ります~♪

2015年6月23日火曜日

今朝も

養老節BGMに小原庄助。

ほんまは入禁や思うとるが、出禁なる沙汰が多い。

今聴いた養老&茂木講演で、「なるへ」と府に落ち。

あとはあんまり要らんから、プロファイリングと超限戦的ネットワーキングやな。

人様容易に変えれず、おのれも幼少時からダブルbindで育つ現代人。

まあ負けてもいいが、というか四苦八苦鐘楼病死哀別陸等々、シャカ弟子でなくとも必定の道の敗戦投手。
終わりまでいかなあかんのやろうに。

雨が聴こえるロマンチック。

2015年6月21日日曜日

(爆睡後リフレッシュ)

養老さんの対談をBGMにして書いているので、感作され養老風でスタート。

目が垂れるの意識論は、自分の目が垂れるのでようわからん。

すでに八百万の世界にどっぷりつかっているので、ドメスティックアニマル。
おうち評論家がいい。
フレイミングも、エッケホモで見てもらわなきゃしょうない。
あいつならやりそうってなりゃあハングアップ。
表見的立憲国家や超独裁国家ならとうに犬に食わされている。
まあ小型犬が横に寝ているのは至福の証拠。

あいつならこう言ってこうするぞってなると、上手に使いまわされることになる。
上手ならいいが、下手だったり、上手の手から水がもれるとびじょびじょになる。
このところ、美女美女も怖く、知り合った姐御にも噛まないでの留保つき。
まあ豚児らからも逆勘当で父の日も、ひたすら他人様がうらまやし。
隣国のようにバズーカ砲で吹っ飛ばされないのが幸せ。

(疲れ果てて~♪)

いることは~♪

・・・・その割りには能天気。
わんこ流で寝起き自由でやってます。

SNSではフレイミング。
ほんに疲れる。
世には金持ちもおるが、凡な我も貧乏、関わる対も貧乏の共依存ならぬ、共大変あり。
オピニオンリーダーよりは、ばななの弁当作りが有名な吉本隆明が往くと、加奈子の亭主の糸井重里も、もう華麗は歌わないと出た。
大昔、素敵でない俺が、コピーなんぞ書けんと首をつったコピーライターがおった。

わしには歌う友がない。
大事にする嫁がない。
ほんでも、ささやかな余生を、今井烈士よりもうちょい伸ばそうか。
いまもいろいろ画策中。

ぼけのわけ

ぼけのわけ

いいわけしません。
しかし、読了いただくと、やはりいいわけです。

毎日が日曜日。ゆえに曜日知らないこと多いです。
仕事いっぱいして指動かした日は割にわかります。
ただ、指もキーボードもほとんどで、外部脳借りないとやばい。

SNSなどもバーチャル。
リアリティに欠け、初回、二回、三回・・・もういっぱいの前に、一杯一杯のこと多いです。

ぼけ言うていただくの悪うないです。
貴兄も貴女もぼけ、そう言いながらぼけぼけ返します。
ポレポレとにこやかに挨拶もできます。
いまも毎日、これが最後とスパムメールきます。
泰然自若、アホにアホいいます。

午後は気持ちよく。
アホにアホ言う奴はアホや。
王様の耳はロバの耳~♪

こわいわこわいわこわいわ~♪

主要敵のわからん時代。
みんな何を考えているのかわからんと身構えてる。
被害妄想が常在。

江戸時代は浪人と浪人がすれ違って、後ろを見合って同時にかけだす話があった。
武蔵は覚悟のバガボンド、小次郎は両刀遣いなれどなまくら。
現代のなまくら二刀流のわれは、アランドロンがあけた穴をヒースクリーフなりすましや、トロツキー秘書のまぶ役など結構いそがしい。

おばはん行政官僚いうか、へっぽこ草らに腹立った。
誰何に応えたら、こんなん出ましたの田中佐和ならぬ、おまはんのトラウマはこうやろときた。
田中のなつかし豚がトンで行きますの方がどれだけ癒されるか。

昔、行政に協力して講演中「糖尿病の交換表もようわからんが」というと、保健婦のおばはんが「私が説明しときます」って高ビーに引き取った。
当時わしはマクロビに凝っとって、地鶏とブロイラー、皮と実どうよとネタクリしてた。
子供小さかったので、アホー思いつつスルーした。

先日SNSで看護婦のおばはんが「死ぬの大好き」にそんなん言うていいのとからんできた。
ネット知己、寒川猫持の師匠山本夏彦翁の有名な書名だ。
猫さんの辛辣光線なら「目噛んで死ね」が出ようが、彼は目医者のはしくれゆえ愛眼派、さすがにいわんやろ。

みんな自分の立場で幸せさがす。
しかし、幸せさがして、相手の幸せとぶつかる。
見事はちあわせ。
医者や、弁護士や、役人ら、えらそうにとなる。
刺されるのんなんていや。

そう思うてセミリタイヤしたのに、正直になったらすぐ圧が来た。
こわいわこわいわこわいわ~♪
負けないで負けないで~♪
いぬのおまわりさん困ってしまってわんわんわわーわんわんわわー♪

2015年6月20日土曜日

おばんです

(今日のお絵かき帳)

このところ、おいら岬の灯台守を~♪卒業して、本格的に浮浪者生活に取り組んでいる。
家守・灯台もりにおいて家族の共同幻想は、ストックホルム症候群的に料理・自己総括はしている。
「文系の壁」読んで、どうでもいいんだとずいぶん自己解放。

猫持氏のごとく歌心はなく、山頭火や放哉のごときロマンチックなホームレスにはなれないが、筋肉は適宜に使えており、従来のようなザルコぺニア傾向はまぬがれている。
わんこらは、おやぢのフットワークに合わせたどさまわりフィールドワークがとてもお気に入りで、夜はグースカピーと安眠である。
今夜のような肌寒い夜は、みなで肉ごたつの役割をしっかりと果たすことができてなかなか便利である。
いまもスースー寝入っている。

浮世床
NPO
運ちゃん
わんこ社交
自動車関係業者
おまわり諸氏、消防諸氏
福祉関係おばば
ネット知己
その他方々にパトロール。

内外神出鬼没に動いているうちに、夕が来た。
水分中心にカロリーをしぼっているつもりだが、某デブ淫乱評論家のように、こうしてメモしても自分の姿はちゃんと把握はできてないだろう。
まあ、おうち評論家の在宅フィールドワーク。
正直、これでハッピー法被。
家族のボケ、自分の内部障害、人格障害、発達障害がすべて背後霊になってくれてはいる。
福祉官僚と化したおばはんらのタカビーなレッテル貼りには徹底的なコプロラリアで抵抗。

斯くして、これからの超限戦に備えている。
すでに戦時下認識でどんな役割期待を負うやら予測つかねども、今井烈士らのように簡単にはくたばれない、くたばらないと性根を据えつつある、。

2015年6月19日金曜日

(旅の~つばくろ♪)

昨日は昨日の風が吹いて・・・・。
今日は今日の課題が。
朝からちょい一回りして走らせてみた。
疾走。
気持ちええねんやろうね。
49日に登場の運命のらくろ上等兵ジュニア。
犬娘とそっくりの先代♂フレブルのブリンドル。
ぼくの生老病死とシンクロして、クレブス持って昇天してくれた夢(ムー)。
息子らも、こんな猪突猛進だけで、すぐ脱走しようとするバカ犬は介助むりとリード返上。
たった五つで天に昇った。
熱中症だった。
先代の、のらくろ上等兵サンタだけで寂しいと、犬娘フレブルブリンドルを迎えた。
まだ自分の闘病生活が、ムーが昇天するまでシンクロさせられていることまで気付かず、あまり気にしてなかった。
次の子供は無理。
また、難産とも聞いた。
両手がふさがってるのにと、早めに犬娘の避妊手術を依頼した。
特に失敗はなかったが・・・。
いま、やはり緩い。
かつやく筋などがキレているのか。
排便排尿が楽でなく力む。
残った汚れ、外の水道でウオッシュレットしてやり、さらにわがマヌーバーできれいにしてやる。
やっぱ虐待の一種か。
人間の都合で石女にして、きれいになかなかしてやれない。
ホルモンの都合で、ICどおり肥満。
かといって、誰かが飼わないと、と殺されるのみ。
いつもこういうことを思いつつ、飼ってしまう。
公園でスモーキング中の運ちゃんと歓談。
彼も飼っているが、絶対載せられないと。
客の依頼にはギリギリで、一匹でケージ入り。
会社の方針、自分の掃除等できる精一杯のよう。
「ねこタクシー」は、夢物語なんだろうな。
「犬飼さんちの犬」だったっけ。
単身赴任中に家族に苦手の犬飼われちゃって、最後は・・・・。
尾籠な話だが、犬娘が憑依してすっきりしなかったところがゆっくり座ってすきっと。
今日もゆるりと続けよう。

どこまで続く・・・

疲れるのであえてかいつまんで言う。

「文系の壁」最高。

まあそれでおぼこが、えのどんにメタモルフォーゼするわけでも、笹井さんが生き返るわけでもない。

もって瞑すべしという話がほとんど。

わかる人にはわかり、わからん人にはわからん。

養老さんはファンではあるが、あほかと思うておるところはずいぶんある。
参勤交代論に賛同して、交通事故にあいかけ。
医療事故がこわくなり。
のらくろ上等兵の先代の尻にでんぼができ、寿命は半年縮んだ。
もう犬娘人生最後の仔と定めて行った店で、のらくろジュニアに出会う。
49日丁度。
ゆえに、、、、というわけではないが矢作先生のスピリチュアリズム相当信じている。
養老説の呼名不認識、それはないやろ。
盲導犬介護犬うちのアホ犬。
みなようわかってまっせ。

親の認知症で、施設のおばはんとケンカ。
ふんふん聞いてたら、やり手ばあさん、福祉官僚のお里を出した。
ケッと893っぽい血の出るチキン男。
このところマクドも、ケンタッキーもいただかず。
医療者はしくれとしては刺される覚悟いるなあと感じるこのごろ。
民医連の医者もシンパなはずの患者にさされる。
知己に事情聞いてないので、仔細は知らず想像するのみ。

雪駄はいてコンビニ詣での帰り、AKB風のかわいい子の自転車のうしろを歩くと韋駄天ペダルで逃走された。
ごめんね。
メールまわったか、変質者の風体かくかくしかじか。

schizoで中退したというC君。
同級当時。

「どこまで行くんですか」
「◎◎まで」
「そんな遠いところまで追っていけません」
おんなじように女の子が気持ち悪がって遁走しても牧歌的やった。
ゴルゴの世界では、後ろに入ると撃たれるがどうや。
スコラ論議あきる。

わがSNSも超限戦。
実生活もセミリタイアしてた積りが超限戦。
今井雅之烈士はいまごろどこか。
笹井先生もそう。
矢作センセイまんせーではないが、まだ死なず近くにいる感じ。
黙祷。

2015年6月18日木曜日

あーちちあーちち

(わたしバカよね~♪)

おうち評論家にセミリタイアして、のんびりする予定が、おうち当直で危機管理する仕事をする羽目に。

歯目なんとやらとほたえていたのに、ほんま東へ西へ~♪と陽水ばりに歌いつつ奔走する羽目に。

カラオケのひとつも歌ってストレス発散したいのに、それもかなわぬクランチ状態キックカット。

まあ、おまえだけじゃないは、みんな同じよってことで、文句なし。
徒然草の御大のように、同じオピニオンの御仁らと淡々と飲み食い歌いしてみたいものじゃわい。

晴れた空~♪

ザックにばっか怒ってもなあ・・・・。

どこもかしこも、エシュロンも、特亜工作員も、コミンテルンの残党もまだ居る時代、メルケルさんも承知で振り振りぶりっこ婆してる頃に、怒り続ける元気もなく。
われは風邪吹けば倒る。
TKOのタオルで、SARSもマーズも目くらまし。

某SNS基軸に、おうち評論家を続けている。
基軸内も、基地外、埒外、期違いその他オンパレード。
橋下君、中原君、同期。
隠しても調べりゃばれる。

「友達」も即離脱から「ブロック」、はてはストーカーに瞬時おいろなおしできるならば、太っ腹に注意しつつやってくほかない罠。

いうことで、適宜立ち回りますゆえ、みなさまよろしゅうお引き回しのほどを。

ごめんやっしゃー

人生うざったいね。
もう大変、おわりなき日常性は、パンク社会学者にアジられなくとも飽きた。
そんな気分で飛び降りたりする人が、ひきもきらずになるのかねえ。

お釈迦さんは、四苦八苦とカッパした。
ちょいとペーストみてくるね。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/idiom/%E5%9B%9B%E8%8B%A6%E5%85%AB%E8%8B%A6/m0u/
だって。
また検閲すきのSNS当局に叱られるかも知れんが、ええわいね。

超限戦の時代にピリピリしてたら、今井隊長みたいにあの世に特攻せにゃならぬ。

プライベートにご縁の寮長さんとこも、饒舌の割にはホームページもない。

まあお呼びがかかるまで、ゆっくり行き急いで、昇天しちゃりましょ。

2015年6月17日水曜日

(当直明け)



爆睡。

プライベート当直で寝ずの番のあとは爆睡が最高のごちそう。
寝ずの番。
http://urx2.nu/lPlK
らもさんお空で爆睡中か。

ちょっとネットも覚えてきて、超限戦の序の口序二段。
平和主義で大関横綱まっぴらごめん。
元嫁豚児らになかれたら土下座一番遁走二番。
責任者出てこい、出てきたらゴラーで遁走。

スマホ、PC、タブレット、ポケットWi-Fi・・・・。
通信費で父さん倒産。
負けないで負けないで~♪
こんなことで負けてられるかあ。

雨にも負けず
風邪にも負けず
スマホ代通信費にも負けず
犬息子娘には負けたって
在宅ホームレス道を極める

そんな人に私はなりたい、、、、。

もうなってるて。

言わんとってえやあ。

リハビリだい

久しぶりに音声入力。

使っているつもりが、使われている。
まあ、マシンなら許せるか?

昨日は、ネット知り合いが、マシンが動かないとぼやいていた。
うちのモニターも映らなくなったので、休んでもらった。
アニミズムの国柄が故、名前はつけていないが、人間扱いしている。
スピリチュアリズムを信仰しているわけではないが、これで自然に戻ることもあるのだ。

あじゃり千日行をあきらめたからといって、いつまでもふてくされているわけにはいかない。
今は、ネット中心にうろうろしているが、地上も超限戦してみたいので、上手にシフトしよう。
ゴッドウィング烈士のように無理すまいと考えている。

何が自重だと、お笑いの向きもあろうが、主観と客観、間主観性の担保なんて、そう容易ではない。
我に「お前は思い込みが激しい」といつも言っていたミンセイ経由のS長老は、タバコの吸い過ぎか、えらく早い時期にお亡くなりになった。

人生は、下駄を脱ぐまでわからない。
このところは、変動が激しく、まさかの坂ばかりだ。

入力は、時々しか使わないので、あまりアドバンテージはないが、これこそリハビリに最適。
みなさん、そこのところよろしく。

2015年6月16日火曜日

(ラブ伊豆オバー)



追うとストーカー。
放るとネグレクト。
適当にかまってもむつかしいぞ。

むかしは、清姫お七かわいいとも思わんことはなかったが、ポテチンの今はホラーとしか思わん。

養老先生の新著「文系の壁」って最新対談新書を買ってきて読もうと思うと、ゴテゴテの連続。
こんなおっさんになってもおえりゃあせんことの当直風ばかり。

購買用のバーチャルクレカも腹のたつことばかりで、自分が動けるうちは、郊外店、アマゾン、図書館その他メディアミックスの超限戦でラッセルしてくぞ。

もう町を走ってると、むつかしさ自明。
司馬りょうは、戦車に逆走で轢かれた怖さ語ったが、いまはソ連崩壊、天安門で終わり。
いまは上手にリスクマネジメントせんと、ISや自爆テロなくともめちゃくちゃ。
自衛隊まんせーの右翼じゃないが、今のような時代大変よ。

がんばるおやぢにわんこらも蟄居。
グラウンドではよろこぶこと。
遠い親戚より、近いペット。

かわいらしいのう。

(昼のグレープジュース)

暑い。
内地の関西や関東に居住まった経験もあるのに、それなりに夏は暑く、冬は寒い。
愛犬を熱中症で失い、われも罪人。
贖罪金も、表現力もないから、ひたすら夢の中で謝る、泣く。
元嫁、元彼女その他いやほどの人々に「はやく死ねばいいのに」と呪詛されながら、二度死にかけて三度目の正直を待ちながら未だくたばらずにいる。

暑いのでペットボトルを離せない。
阿闍梨の千日行のまねを発心したが、百日も持たず、すぐビール、ペットボトルの徒になっている。
そういう己の姿をつくばのガマのごとく直視すれば、すぐに不能は自明と知るはず。
この年で、急にアーチャリーも伊能忠敬にもなれはしないぜ。
オウムなら三女のニックネームになるが、四女の認識に近くなることはできても、三女にはなりようない。
歳のせいでなく、これは資質。

まあ病原体だなんだと超限戦の戦時下まっさかり。
そうとわかっている人々は、おののきつつ動いているが、のんびりスマホ見する子、スコラ論議に興じる人々、まあそのスクランブルそれこそが現代。
訓詁学はもう無理だろう。
モデルはもうない。

ペットボトル症候群に陥らないように、脱水にならぬよう、電解質異状にならぬよう、飲めや歌えや働けや。
端を楽にしたくも、モデルもなければ、方途も敵も定かでない。
ぼやいても、ぼやいても死ぬまでジグザグと生きるぞ。

人生いろいろ

養老翁ほか、まだまだ元気に対談、出版しおるので、アマゾン用にVプリカのコンビニ調達に回るが広宣流布はいまだし。
某クレジット会社は、ほんもんのカード作ってプリペイドクレジットカードであるVプリカを買うてくれとねだるが、抗弁の切断、偽造予防、クレジット会社の倒産、トラブルでのブラック人別帳搭載等々が嫌いでバーチャルクレジットカードをアレンジしまわってんのに、いやんばかん~そこはおへそなの~♪って隔靴掻痒で終始中。

わんこ連れて砂の器ライクの放浪。
犬娘はわしの虐待で、ブクブク。
浮世床のおかみは、「太りすぎは早死にもと」とわがハンドリングを虐待になぞらえて揶揄するが。
断種後は、雄雌問わず太る。
予防接種に行って、くそ女獣医に「こんな弱い犬種好きなのね」って好事家スペシューム光線を当てられたが、まずまずべっぴんのおまえさんがケツ押しつけてくれても反応せんぞ、くそばばあと口内でゴチた。
ほんまハラハラは、わしやのうてあんたやぞ。
いまやドクハラは女医の得意技。

みんな超限戦で疲れ、カラス天狗のマスクで街をスクランブルする。
自分は閾値下多重混沌を想像するなんちゃってシンカーなもんで、SARSでもマーズでも、エボラでも、HIVでも、あんまり騒いでもしょうないべと思っておる。
言うとキチガイダブルライセンサーとお褒めにあずかるは必定、黙っているが。

ということで、腹服縷々テーマはいくらでもあれど、別室招待の知己思いついたので、この辺に。
今日からマルチポストはできるだけせずに手入れしよう。
結構忙しくなってきた。

2015年6月15日月曜日

(オープンメール)

SNSで親しくさせていただいてますK田センセイにオープンメール。

孤独死孤立死へのご興味に以下のサイト最高。
http://blog.goo.ne.jp/clean110
特殊清掃「戦う男たち」
自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

ぼくは数回読み返した。

超限戦はしばらく前にアップしました。
今回のマーズなんかも陰謀説and/or危機管理物語でいろいろ解釈可能。

今日も地震、カラス天狗の行きかう人、さまざまな職場の職員。
こちらもいろいろ瀬踏みする。
リスクシミュレーションと立ち居振る舞い。

棺桶半分足突っ込み組のぼくなんか、戦略むつかし。
一度は経験すべき生老病死、愛別離苦等の四苦八苦。
しかし、放埓ないのはいかん。
上のリンクなど壮絶。

いまのところ便りがないのがいい知らせか?
パニック映画がリアルに見える今日この頃。
Kセンセイに限らず、お互いお大事にしましょうね。

(窓をあければ)



オンリーイエスタディ。

いろいろと動く合間に、子供のころに聞いた主題歌等をBGMにした。

月光仮面の川内康範せんせい。
正義のひとは、森進一氏を批判して逝った。
相続人のたしか弁護士業の息子氏は、森氏に噛むようなことがなかった。
いまは天で下界をどう見てるだろうか。

エイトマンをうたった克美しげる氏。
更生と転落のリフレイン。
あのころは◎◎◎嬢までして尽くす女をと記事になった。
いまや後妻業が大はやり。

P教官は、ハリマオーが好きでよく歌った。
退官とか聞いた。
われらの世代か。
訴追者集団のPもずいぶんかわった。

寅さんきらいの淡谷のり子女史の姪の淡谷弁護士らが、田中角栄を弁護。
主義主張より、職人は仕事にすいよせられる。
いまもそうか。
へっぽこは知らず。

窓を開ければ暑い。
地鳴り、揺れを感じる。
天も地も海も揺れている。
ここで生きている。
10上の司法書士姐が亡くなった。
夫婦げんかのあげくの登記で世話になった。
星になったかと空をみる。

2015年6月14日日曜日

(ほな言いまっせ)

王様の耳はロバの耳~♪♪

ところ構わず叫んでも大丈夫な日本は良い国か?

北朝鮮なら犬に食わされたり、バズーカ砲で公開粉砕処刑されるとな。
シナでは、戦車で轢かなくなったが、軍、公安、周近平の草、その他誰になにされるかわからへん。
アメリカでは、即射殺の危険あり。
IS影響下の欧州、アラブ、アフリカ等々何されるかわからん。
バックツー江戸なら、安政の大獄、桜田門の変、その他でISライク。

そんな現在に、へっぽこ還暦愛国者のわしは、いまだ人格障害、発達障害のまま。
先も、相続財産を相続人として、被相続人死亡後、適法費消したのち、その費消行為と矛盾する遺言書でてきたらどうよとセルフ教理問答してたが、会務の無料相談でみんなすっと答えられとんのかなあ?

それはともかくとして、マーズ、サーズでなくとも、がんサバイバー、気管切開後のわしは普通の風邪でいつ死んでもおかしくない。
今井雅之神風烈士のようにリハビリ特攻する気ないけど。

そんなこと言えば、元嫁、愚息らはじめ係累はらから皆おなじで、要は徒然草や方丈記と一緒一緒。
ぼくらは諸行無常の国の子。

ところで、SNSはじめウイルスはネットからでも来る。
俺様気取りしても、ポルノグラフィーその他のキャッシュでてきたら、あいつやったらやるに違いないのレッテル付きにはすぐなれる。

いまアーカイブで、辛坊治郎が江田憲司に橋下像インタビューするってCMきく。

まあ、生きてりゃ楽しめることばかり。
よっとこしょ、ジブリ風でもなんでも、風たちㇴ、やっとこさっとこ生きめやも。


(ほたえな、いやくんずほぐれつ)

昨日の接待疲れで、今日はネムネムでネットで遊ぶ。
無理に車でうろちょろすると、砂川のようになる。
あそこもイベント取りやめなど大変だ。
昔のように供養というより、再発などあればさらにダメージだからのよう。
配慮はひとのためならず。

昨日の師匠に「超限戦」をよく使うといじられたので、ウイキをペースト。

『超限戦』(ちょうげんせん、中国語:超限战)とは1999年に発表された中国軍大佐の喬良と王湘穂による戦略研究の共著である。
中国空軍の喬良、王湘穂は、これからの戦争を、あらゆる手段で制約無く戦うものとして捉え、その戦争の性質や戦略について論じた。
本書の第1部は、新しい戦争についてであり、第2部では、作戦の新しい方法についての議論となっている。この中で喬良、王湘穂は、25種類にも及ぶ戦闘方法を提案し、通常戦、外交戦、国家テロ戦、諜報戦、金融戦、ネットワーク戦、法律戦、心理戦、メディア戦などを列挙している。そして、このような戦争の原理として、総合方向性、共時性、制限目標、無制限手段、非対称、最小消費、多元的協調、そして全ての過程の調整と支配を挙げている。
このような戦争は、別に中国に限らずグローバリゼーションの時代の戦争に特徴的なものであり、軍人と非軍人の境界もまたあいまい化する。したがって、本書は、単に戦争手段の多様化を示すだけではなく、それに対応した安全保障政策や戦略の研究の必要を主張している。

今日は桜チャンネルの討論をリフレインして、この超限戦が中国でブーメランしているのがわかった。
アメリカも超限戦の最中。
我が国は、みなさん適宜自己判断してくれい。

https://www.youtube.com/watch?v=YtSCuf7zLfw
https://www.youtube.com/watch?v=7zO1NUeOPNM
https://www.youtube.com/watch?v=D2zGwHXLpfo

昨日も居酒屋でストレスためたお師匠がもたれた壁をどんと背中で蹴っていた。
俺に向けた攻撃性を発散したのかと思ったら、向こうの部屋の攻撃に対応したよう。
年よりも瞬時にキレキャラになる。
これも超限戦的風景。

ネットで中堅Bとフレイミング寸前。
炎上させたろかの示唆っぽいブラフに、◎◎◎にいじめられて死にますいうて首くくって書置き残したるわって応戦で小康。
ほんま因果な生業。
セミリタイアでよかった。

わんこがほたえてくんずほぐれつ、上になったり下になったり、吠えてさわいでいまスヤスヤ。
放任主義やから、昔と同じかな。
やっと自由にさせてやれるようになったか。
超限戦でもなんでもええから、犬の訓練士は上手に動いてやりたい。
わがリハビリアニマル。
今井雅之god wind烈士、こんな感じでゆっくりしたら、ほんまにリハビリできたろうに、急いで神風になってもた。
まだまだ若いのに。

午後の紅茶

毎日が日曜日に近い日常性とはいえ、ほんまもんの日曜祝祭日は悪くない。
過剰同調社会の刷り込みがあるが、徐々に離脱しつつある。

BGMには、桜チャンネル日曜恒例座談会を流している。
中国の現状というか、切迫崩壊の姿を語っているが、北朝鮮ほどいかないまでも惨状から逃散、難民が押し寄せたらどうよ?ってのは語られない。
核兵器のさやあても語れない。
リアリズムから政府と同じで禁じ手にされているなか、右左巻のヘイトスピーチが一番気楽だろう。
なりわいで、反戦自衛官が恩給もらいつつヘイト続けたり、連赤残党が蟄居せず動いたりは、生業上わかるものの、好き放題を言えている現実は実に情けなし。

ところで、我は人嫌いの寂しがり屋。
近所のスイーツスペースにも赴く友もおらず、犬娘犬息子と遊ぶ。
ところで、昨日さやあてアップしたお師匠も猫持様。
犬猫は、人間みたいに口はばったいこと言わぬがいいと「ネコばかイヌばか」のごとく一致。
言語系は明確にはなく、犬猫バージョンでしかないが、スピリチュアリズム的には自己表現のありさまはよくわかっている。

犬猫まんせーの「友達」も、逆に動物実験等かわいそうは所詮センチメンタリズムと唾棄する「友達」もいるが、その中間の矛盾の空間で生きるのが大半のようである。
もう人生で最後の機会と思いつつ、人間の生老病死と愛別離苦などに似たペット版の四苦八苦を思い怠惰いいかげんに頑張っているわれではある。
故池田晶子の、ペットロスは、親の死に目よりつらいという気持ちはわかる。

大学の教室から、某科領域での「医療紛争はこう防げる」という講演オファーに、紛争勃発自体は予防不能と謝絶。
謝絶後申し訳なく思い、これからホームページでも見て、尻ぬぐい、必要なら再考してみるつもり。

let it be.
スターリンにピッケルで頭割られたトロツキーの映画もう一度みたいなあ。
DVDはアマゾンでプレミアつきレア品。
監修的働きした小児科先生松田道雄、天上でこの世をどうみてるかなあ。
トロツキーの秘書をたらしこんでスターリンの頭かち割ったアランドロン。
「太陽がいっぱい」でヒースリーフになりすましたアランドロンそっくりの俺が、幼なじみの出世頭S教授君を海中に引っ張ってホテルに入った夢を見たと、これまた幼なじみのMちゃんに話したら「アホか」と笑われた。

人生はこういう夢の続きと思いながら、日曜日の後半に向かう。



がんばれ~♪

わが医療サイドの師匠のひとり。
あえて偽善きらいなので、ディスり批判承知で書く。

半ペン太とさんざんいじめられた。
まあみんなに怒られて、Kちゃんだけでないから別にいい。こうして生きている。
それでも適当なおやじだった。
パラコート呑んだ患者の隣の患者の主治医ゆえということは理解できても、「そこそこにしといてね。ぼくの患者にきついから。」
おまえは坊主か。
簡単に引導わたすなと思った。
彼が名誉院長にリタイアして、講演だったか、コラムだったか、アイスランド経済美化してすぐこけた。
能のないことに尽力して、本当に救えるか。
俺は歴史修正能力ないからnoである。

まあ、あんまりディスり続けると、あいつはなあと世間を狭めるが、もう十分に狭めている。
今日も係累のアレンジメントに工作したが、情けは人のためならず。
わがサイトに来られる「友達」「フォロワー」諸氏。
お愛想する余裕もなく、エゴイスト、KY自己評価どおり放置プレイで動く。
それでも怖くない。
右左関係なく能天気だが、黒田某に刺されて死んだ左草も「山宣ひとりで寂しくない」の彼が好き。
今日は桜チャンネル座談のリフレイン予定だが、石平さん好き。
宋なんとか、座談に関係ないが、嫌い。

質感は細部に宿る。
みなさま、無理なくがんばりませう。

ドン・キホーテ

いまだ読んだことはなく、小説家や文芸評論家の対談や、勉強熱心な方の能書きは知っているものの、無教養なところに自分の質感はまったく持てないでいる。 

この屋号の店には何度か入ったが、興味はわかなかった。 
これも縁なし。 

夕にお師匠をホテルで待った。 
おかまの師弟関係でないので、番号の共有などしてない。 

来ない。 
喫茶でエスプレッソを飲み、カフェオレとの勘違いを知る。 

師のメアドはあるが仕事関係で、オフに通じるかどうか知らず。 
発信したので、ロビーに待つ。 
ホームレス姿で誰何されるはいいが、不審通報されウエイティングやウオッチングが不能になると困る。 
昼ころ事前に電話を入れるも、コールセンターでよくわからず。 
フロントのスタッフも事前連絡のバックアップもしておらず諦める。 

以前は大資本のブランドが、名も知らぬHPみても変態理由不明。 
ままよ、スマホでときどき返信チェックするも面倒だ。 
そんな風に見ていると、内外の観光客が波のように押し寄せる。 
スタッフは、ましらの如く駆け巡る。 
このところの労働状況が顔色からうかがえるが、走るような動きが精一杯で余裕はない。 

掃除やソファーのアレンジに来るとき、「どけましょうか」などとラポールを悪くしないように図ると、邪険にもされない。 
しっかりと待ち顔を見せておかないと、もし宿泊するなら、フロントで待ち人インフォメーションしてもらえず会いにくいだろう。 
宿泊の有無は個人情報でオフリミットのよう。 

何度も波のように団体客が押し寄せる。 
日本語の交錯。 
中国語の交錯。 
パイロットやCAらの中国語と団体客らの中国語の違いは分からぬが、明らかにはしゃぎ度や動きは違う。 
何波かの団体客に遭遇したが、バスから入ってくる様子からして、層や募集が違うだろうことは推測できる。 

日本人らのグループより、中国人のグループの勢いは強い。 
そんなこんなしている間、ずいぶんいろいろと瞑想できた。 
ヒッキーおぢにも、たまの社会見学はためになる。 

予定時刻すぎてもメールも姿も入らず。 
万一わしのミスで勘違いであったとしても、奥さんに電話は入れられない。 
もし困った発覚でもあれば、大変なことだ。 
やきもきするうちに、ノーティスよりしばらくで姿をあらわした。 
ホッとするも、帰ろうかと思うギリギリまで待ったので疲れた。 
ストレッチングや貧乏ゆすりをホテルスタッフに見せたのは、彼らに待ち人姿を記銘させたいのと、エコノミー症候群予防のため。 
無理すると血管つまりそうな気がしたからだ。 

近場の某チェーンで乾杯。 
ため口、いじりは逆鱗に触れず、逆に琴線に触れる部分あったかニコニコ顔で大人しかったが、師の「自分の壁」に抵触すると烈火のごとく不満不快との言葉と表情を返された。 
覚悟の上のカラムニスト。 
もちろん、怒りの内実は個人情報でここには示せない。 

一期一会で、ともに健康でも次はないだろうことも覚悟し、それを踏まえて帰る。 
電車で帰ると伝えたものの、疲れもあって自分には分不相応なタクシーを贅沢し、運ちゃんとは真逆のような世間話。 
事前に確認のために聞いたフィーどおりで帰着。 
楽しい休日だったが・・・・。 

家にはまた別件で、着信あり。 
しばらくネット三昧でもないなの心理状況で・・・・いま。 
ポークも、面白ネタチェック、コメントも控え、こんな所感たまに入れることができるか。 
まあ、自分含め似たコンテンツのリフレイン。 
それでドン・キホーテのように風車に飛び込むほどのなにものもない。 
君子豹変ならぬ愚図潜水に、ポーク諸氏はじめご容赦あれ。 

2015年6月13日土曜日

自由連想法的ブログ作業に

おうち評論家、コラムニストならぬカラムニストも、手作り遺言書的書き物を棚上げにすることを決すれば、特に天命は意識する必要がなくなった。

超限戦まっただ中で、今日書いたことが夜があけたら古くなる時代、これでええと思うておる。

それでも、ものいわぬは腹ふくるる思い。
逆に、あまり毒吐くと自爆テロになりかねない時代。
まあ十分読み書き、覚悟して、ここらブログにしたためよう。

そんなおもいの土曜日の昼の紅茶。

たかじんyoutubeでBGMにしながら

夜半の三昧。

寝落ちでチャージ後。

わんこらとの相互浸透で犬丸に変身。
寝たり起きたり随意。

やっぱ好きやねん~♪聞いてたかじん偲ぶ。
在日ハーフの悩みを死後に知ってもかわらへん。
ええ男や。

17条憲法。
大化の改新。
あのころから葛藤してきた渡来人の末裔かも、わしは。
ルーツ考えると蘇我入鹿が目に浮かぶ。
ほんでも安倍さん守りたい。
安重根単なるテロリストとせず向こうの愛国者としても、安倍も死を覚悟にプレスリー総理に寄り添うて訪朝した国士や。
ヨシフのアンチヘイト名目のカウンターヘイトも、親の命名みるまでもなくコミンテルン、スターリニストの公然活動と思えど、まあ命がけでもあり黙って見つめている。

実は橋下は同期。
SNS等でディスりメッセも出来なるも、面識なくとも暖かめに見つめている。
教育長やったか、Nも同期。
劇団ひとりなんかと似た育ちの単なるエリート志向でない傑物だ。
まだわしはくたばってないものの、草葉の陰から応援している。

まあ諦めモードで動き出してから世界も広がった。
手作り本も考えたが、時代の速さ、アンチ気分のマスコミ、編集者には直にお礼食らわせ、まだ見ぬ読者には直付き合いする気持ちに君子豹変。
今井神風氏のように早行きしなければ、猫持氏とは違った形で好きなこと言うて行こう。
氏のいうような愛妻「おばはん」はおらんが、幼馴染も元愚妻もおるし、その他そこそこ男女問わぬ知己もいていけてる。

幸せな奴やった変なめちゃめちゃな奴っていわれながらシュレジンガー猫のように半分死んで半分生きていきまっせ。

2015年6月12日金曜日

なめ猫なめ犬

SNSでやりとりする歌詠み寒川猫持さんのうた。

「尻舐めた舌でわが口舐める猫好意謝するに余りあれども。」

山本夏彦翁がこのうたを知り発掘。

ムラ気で猫そっくりの猫持さんは、ひととよくケンカするが猫にはメロメロである。

わんこも足裏、手、口、顔ところかまわず。
猫持さんのうたと同じく尻舐めた舌で。
人獣共通症を別にしても、勘弁ってときが少なくないが、酔っ払っていたりすると抵抗できぬ乙女のごとくなすがまま。

昔なめ猫がはやったが、うちのなめ犬も、学ランは来てなくともそれ風のときもある。
近所のおじさんおばさんに、おとうちゃん守ってんの?とお褒めの言葉をもらうときがある。
小型~中型の蹴られたらポテチンの愛玩軍団だが、守ってくれようとするなら、逆にこっちが守らにゃならぬ。

才能もないが山頭火や放哉の如くうたうこともかなわずホームレス姿のおやじは、なめ犬と野原を行く。
なかなか楽しい時間である。


超限戦

久しぶりに音声入力です。

このところ超限戦という言葉にはまっています。
もう古いイメージの戦争ではありません。

まだ世界大戦には至っていませんが、なりふりは構われていません。
ドンパチだけでなく、経済、情報通信、その他もろもろ何でもありです。

質の向上のスローガンの一方で、露骨な質の低下が起こっています。
みんな四苦八苦で、他人の事情をおもんばかる余裕がなく、スクランブル状態が日常化しています。

朝のカーラジオで、近所でテロ未遂があったのを知りました。
ISに志願するような輩かどうか知りませんが、道路の端から端まで縄張りをして攻撃です。
通りがかった車がひっかかったようですが、まあ大丈夫だったようです。
バイクなら奴らの首切りもどきが実現しています。

殺人数は統計的に増えていないと言いながら、体感治安は実に悪い。
人々は互いによるべなく、流行りの言葉でいえばブラック化しています。
これだけ、時代の変化が激しく、技術革新が早ければ、終身雇用などもうありません。
また終身雇用も嫌がられます。
三日、三カ月、三年が若い人の転職に多く、嫌になって引きこもる人も多いです。

永久就職も共稼ぎでなければ維持しにくいところです。
そのうち、3年ほどで愛情も冷め、別れます。
子供も、犯罪等からあいさつも危ない暮らしで、生きるみずみずしさなどから疎外されます。
それでも死ぬまではあがく必要があり、老若男女四苦八苦です。

これは我が国だけでなく、昨日のニュースで中国の田舎で親が出稼ぎに出て、はかなんだ子供達が家のなかでみんなで自殺していたということです。

汚言症や化石頭化した人々以外は、ちょいと考えればトップだけの責めでないことはすぐわかります。
オバマさんも安倍さんも、ヘイトされるべきことばかりしているとは思えませんし、シュウキンペイさんも好きではないが命がけ、パクチョンヒの娘さんと金日成の孫さんは国の悲劇を演じてます。

人生ひとまわりを過ぎたおぢさんは、ひたすら新しい日常性と超限戦です。
各人四苦八苦しても、めげずにまいりましょう。

幼なじみの思い出は~♪

幼なじみの思い出は~♪
青いレモネードの味がする?やっけ。

昨日は、「小さな頃ようお医者さんごっこやったえ」と冤罪エピソードを持って幼なじみが翔んできた。
勿論スマホでだが、、、、。

故郷の訛り懐かしはらからとの会話、子の親の業務連絡相手の私小説「死の刺」口調。
あの作者も辛かったろう。
スカートの下の婆さんには、さんざん酷評もされ。
聞こえへんからOKか。

まあいろいろありますわな。

姉御社長の先日の夜半コールも気になるが、波長合わず。 let it bee。
スズメバチやないから大丈夫。

十六茶片手にあさの小原庄助さん。
まだまだ生きたいのか、死ぬ死ぬ詐欺おやじ。

今日もスタート。

2015年6月11日木曜日

世はすべてこともなし、ことありだらけ

夕に今日の総括。

ふるいなあ。
団塊のしっぽで、すぐにこういう物言いになる。
なんて言おうか。
セルフ会議、ひとり呑み会・晩酌。

まあ何でもいいわ。

浮世どこですっきり。
週末に都の師匠と呑む。
地場の師匠は、娘婿でわしのようなちんぴらには愛想つかし。
医系・文系の名誉教授としがらの諸氏も、せこくせわしなく、こっちも老人キラーもせんことにした。
構うと、琴線から逆鱗に暗転。
さも似たりで、われも若者らから忌避される。

もうちょっと実のある話をしよう。
このところSNS、へっぽこアスレチック、つまりはネットも、ドッグランも楽し。
ポリシーは、一丁噛みゆえ、リフレインはあまりなし。
編集者、マスコミのルサンチマンで、手作り出版・直販考えたが、気がつくともうさんざん一丁噛みしたことに気付き、もういいかも状態。
逆に、出版系にこなかけると、びびられたりする時代ゆえ、特にもういい気持ちも強い。

ネット知己の若年寄いけめん御大が、プロテストに精勤中。
まあ欠席裁判はやだから敷衍しないが、エッジ立てて、無駄な時間はぶいて生きるなんて容易じゃないよ。
いまホリエモンのyoutubeレクチャー聞いているが、彼もここまで達観するのに、下獄だけでないプライミングが要ったよう。

超限戦の時代だが、おらっちは下手に闘わず、おもしろくへたれフェイドアウトすること。
女房子供もおらず、ペットやクライアントにささやかな渡世の義理を負うのみ。

このところ、たそがれが面白いかもと思える日常性にある。

おひとりさま坂

この坂を越えたなら~♪
幸せが待っているかどうか、、、、不明。
夫婦坂でも、おひとりさま坂でも、結婚式のspeechじゃないが、まさかという坂もいつ出てきてもおかしくない。

フェミの上野お嬢様は、学会で近くにいたとき、おひとりさまbubbleとはしゃいでおられたが、スカートの下の劇場も、ボーボワールが「老い」を描いた年頃には誰も盗撮にも来ない。
若い頃はFOCUSだかが、マブダチとのscandal騒いでくれたが、最近は朝日で中学生にセクハラ回答と顰蹙を買った。

もうひとりのお座敷TVフェミの田嶋陽子女史は、議員は辞めるは、みんな同士風に共同住居すると夢を語っていたものの、TVでやってられるかとこれも投げ出し。
やはり、人生は四苦八苦。

社会的動物なれど、究極にはひとりで生まれて、ひとりで死ぬ。
心中しようと、絶命するは各自失楽園。
長寿享有しても、淳一翁のように、最後はお婆さん顔に変じ、もうインポテンツで往かれた。
福島で最中に、「一足お先にいきます」と90のばあ様が縊死されたが、辛いと待てない。
戦争もなんも経験した高齢者でも。

今日も朝は寒くストーブが要る。
昼は暑く、coolerが。
買い物には車が ガソリンが。
油断すると、超高齢者でなくとも死活問題。
国会で、ネットで、スコラ論議、流言飛語してる諸氏、大丈夫か。
差別用語狩りみたいな愚行を緊急時に続けてると、めくらの市さんに「めあきは不自由だね」って笑われるよ。

憲法学者だって、政治家だって、飲んでる時は結構本音、リアリズム言ってるよ。
でもなりわいで、実名本音は言いにくい。
憲法整合性、立憲主義も実質、社会的事実に基づいた解釈が必須。
生命、身体、生存権、みんな憲法に書いてあり、それを水の泡にして絹布の法被もあったもんじゃない。
強制加入で会員の直接投票で決めた訳でもないのにアクティブする会の一員で、もうどうなってもよくても刺されたら扶養家族のわんこも、関係人間様も困ろうから、これ位にしておく。

超限戦の時代にでも、えっちらおっちらみょうと坂、おひとりさま坂、ま坂念慮にあがりおりせにゃならぬ、ホイホイ~♪

2015年6月10日水曜日

生きる

巨匠黒澤の代表作のひとつ。

志村喬演じる、末期胃ガンを自覚した初老の市役所総務課長。
役所を無断で休んで、自殺念慮も抱えながら彷徨する。
早死にした嫁さんとの間でできて男一人で育てた息子は、いろいろと邪推し、おじおばにも、女だ、放蕩だなんだと焚き付けられる。

森毅先生によく似た伊藤雄之助演じるデカダン作家の尻について、今まで行ったことのないキャバレーなどの享楽の場で遊び周り、最後は「命短し恋せよ乙女~♪」とゴンドラの唄を歌う。
役所に飽きておもちゃ工場に転職した若い女性にもついてまわる。
セクハラはしないが、話を聞いて欲しがり、息子の愚痴を話すと「別に生んで欲しいって頼んだわけじゃないし」と辛辣に返される。
現在の家庭の中の孤独、寂しさを、ずいぶん昔に活写している。

職場復帰した主人公は、必死で官僚主義ややくざと闘って、ささやかな公園を作り、そこでゴンドラの唄を歌いながら逝く。
息子夫婦には、財産目録等ちゃんとわかるように整理していた。
通夜で同僚らは主人公をしのび官僚制打破を叫ぶが、葬儀も終わり係長が課長に昇進しても、元のままの姿のお役所風景に、夕焼けに照らされた公園が映される。

話は飛ぶ。
自分の話。
SNS等ネットも、馬糞飛び交うようなイデオロギー論争やスパムには飽き倦み、逆に冷ややかに見ていた「友達」もプロファイリングしていくうちに、彼、彼女も大変な生を享受してるのだと知る。
生老病死、愛別離苦等四苦八苦はいまの時代に始まったわけでない。
徒然草で吉田兼好が儚んだ人生は、少子高齢化のいまもそう冗長を許すわけでもない。
馬鹿なイデオロギー論争で、「原発がミサイルで撃たれりゃ核ミサイルいただきと同じ」と左がいえば、右も「こちらが打ち込めないか」と、まるで癲狂院のつぶやき、咆哮のごとく。
こういうこと等々にも倦んで、わがアップの下火になり、ゆるりとこんなことを書いている。
だが、ひとみしり部分も強い人間動物園好きで、ポークなどという肉みたいな名前の挨拶も楽しんでおり、なかなか上手に生きられぬ。

話は再度飛ぶ。
ネット同様、電話もスパムが多く、ブロックなどすることもままあるが、気の毒と思うコールには応じている。
金にもならぬ仕事中にも、悪質売り込みのスパムも増えるばかり。
そこにそれを嘆く、指弾する同業人グループのファックスなども迷惑。
時間どろぼうの超限戦状態が昂じて、どこもかしこも「質の向上のスローガンに現実の劣化」がミゼラブルに進む。

上手に生きて往くのは、釈迦のころも、いまも至難の状況は変わらない。

超限戦の時代

ハッキングのスクランブル状態。

どの筋ということなく超限戦なのよね。

だから主要敵は見えにくい。
さっきも某編集長のシェア困難で、ブロック妄想も持ったが、、、。
別機でやれば通る。

こういう時代は怖い。
誰もが被害妄想、パラノイアになりやすい。
親和性があって、ホラー興味、いろいろ欲求のある子は、殺人鬼に変じる。
サカキバラから名大生まで。

怖いのは隣国や宗主国風、政府自治体公務員、同僚、陰謀論に限らず、先ほど書いたように、妄想しかける己も怖い。

まあ、灰汁抜き、風通ししつつ、鍛練、フィールドワークする所以。
このところネット三昧の主旨もここにあり。
ユーモア芸人伊集院光をyoutubeで連続再生でBGMにしているのも同じ。

見切り千両

ユーモア、エスプリの必要性はすでに述べた。

しかし、笑ってばかりもいられない。
怒りも大事。

守秘義務別に言いにくいことも多々。
言う場合も怒りで言うは感情的にへんする。

ホンに表現、表白は至難。

見切り、覚悟が要る。

そこでやっと王様の耳はロバの耳。

でも無駄のことも多し。
打ち首免れたが、キョトンの終わりもなあ。
切腹覚悟してたのに。

2015年6月9日火曜日

ユーモアとヘイトスピーチ

このところSNSにはまっていて、遺言書的物書きもミミズの歩みだが、好きこそものの上手下手、どちらでも遺言書を書くよりSNSで遊ぶ方がおもろい。

肝はユーモアやと思うようになった。
おやぢギャグちりばめても面白いわけでなく、やっぱりエスプリやろう。
論敵なれどあっぱれおもろいやんけがいい。

ちゃうちゃう?、ちゃうちゃうちゃうでー、いやちゃうちゃうやろてなおもろい浪速もこのところ低迷。橋下さんももうちょいユーモアでいければ僅差ででもいけたかも?

最近は、国難ゆえか、ヘイト物言い化が顕著。
せっかく物言えば唇寒いところなら、笑かしてくれいなあ。
こんなこと言うてたら、わろてる場合か、ぼけ、かすって怒られますが。。。。

ネットに浸かり

大変。

でも役にたつわ。

ナチュラルに続ける。

2015年6月8日月曜日

課題は

リハビリ。

今朝もネットの手入れ。

ただ、今井雅之さんもリハビリと叫びながら逝かれたので、言葉には気を付けた方がいいとは思う。

まあ、なんにせよ状況あわぬの特攻隊もありえず、やはり情勢論や覚悟をこねくって立ち居振舞いするほかないだろう。

ということで、今日はわからぬが、一応リハビリ。

2015年6月7日日曜日

開き直りのむつかしさ

SNSにもコラム書き続けているが、このところ紛争watchingの話。

この時代、watchingしているうちにすぐミイラとりがミイラになりかねない。

開き直りと反発されないように上手に諦感する。

言うは易く行うは至難。

2015年6月6日土曜日

生きているだけもうけもの?

これも棺桶に片足突っ込む程度に済んでいるからで、両足突っ込む寸前の所見はわからない。

まあ、ここまで生きてきたこと自体がしたたかなんだろうから、一応もうけものの片足所感はあってはいるのだろう。

先も過去もわからない。

いいじゃないの今がよけりゃ~♪

2015年6月5日金曜日

神は細部に宿るか

だいたい信心に欠け、神仏もよくは知らず。

ただ、細部にいろいろとあらわる印象は強い。

超細部は素粒子の世界で確率論や複雑系の世界だろうから、せいぜい勘だろう。
わが勘はよくはずれ、いろいろ鈍感、愚鈍、どうしようもないとも思う。

科学や仮説も眉唾に思うなら、やはりかのごとく。
神が細部にやどるかの如く大雑把に生きる。
もちろん、そう生きてきた。

2015年6月4日木曜日

汝自身を知れ

SNSで怪しいリクエスト。
プロフィールみると典型的なフィッシング型。
共通の「友達」みると何十人も。
個人情報抜くためだけの相手にプロフィール晒してと思うが現実。

こういうのは一目瞭然だが、汝自身がむつかしい。
おいさらばえていけば守護するほどの情報も劣化僅少化する。
秋冬、夕暮れは間違いないが、汝に加えて何時もおぼろ。

まあ、適宜終わりまで己には付き合う必要あり。

2015年6月3日水曜日

お買いモノ

ぼちぼちと春から 夏へに順応中だが。
結構むつかしい。

昨日はアイスクリームを入荷したが、食いすぎ。

ビール等は禁酒中だが、あまり強固に進むとリバウンド。

立ち居振舞いのごとくうまくなる必要あり。
勿論、掃除洗濯等々も。

2015年6月2日火曜日

年季あけ

タブレットの2年しばりがとけて早々に解除。

斯くして、ここ一年半位ですべて解約して、SIMフリーに移行しようかと。

身軽が一番。

2015年6月1日月曜日

いさかい

犬娘が夕刻犬息子に攻撃的に。

激変の理由は知らず。

わんわんとしつこく叱責、止まず。

生物にいさかいはなくならない。

仲のよいときはくっついて寝ていたりするのだが。
犬息子も飼い主に似てしょうもないことしいゆえ犬娘の忌憚に触れたのだろう。

2015年5月31日日曜日

地震

地震があったらしい。

揺れたそうな時間に記憶なし。

いずれにせよ、よく揺れるシーズンには入っている。

国土強靭化などと利権がらみか好んで口にする御仁も増えているが、予知もし難い自然現象どうするのか?

わからず。

2015年5月30日土曜日

ホントのあつつ

ワンコらもハーハーフーフー。

水を求めてドタバタまではいかぬものの脱水症熱中症懸念レベル。

網戸も夜半には閉めたが涼風必須。

たまらぬ暑さすでにスタンバイ。

2015年5月29日金曜日

錯綜

夢見いろいろ。
何の夢かわからずみている感じは残っている。
詩が出てきたり割に上品な印象が残っているが、何やら分からず。

ネットメールにスパム急増。
どっかのアドレス売に引っ掛かったのか、しょうもない。
放置が一番ゆえ、ただただ削除。
牧歌的な人間をたらす手管集ができそうな感あり。
実にうざい。

2015年5月28日木曜日

あちち続

サイドブレーキを操作すると、ギャー。

飼い主のひざ打の次は、犬息子。

警戒心不足。

サイドブレーキの下に足を置けば、ギロチン必至。
これがわからぬバカ。
飼い主とさも似たり。

のどもと過ぎれば知らぬ顔。
これも飼い主にさも似たり。

2015年5月27日水曜日

アチチ快

打った膝をかばい歩く。

少しずつ痛みが減じ、再生感が得られる。
元に戻る感じ。
まだ生きている証拠。

これが大年寄りになると、頸部骨折から寝たきり、お陀仏に進むのだろう。
大きなタイムスパンの小春日より。

2015年5月26日火曜日

アチチアチチ

郵便物とりにでて戻る際に転倒。
膝痛打。
すりむけ。

年はとりたくないね。

SNSのソフトによる表示差異は、新アーティクルの表示タイミングの差にすぎないことに気付く。

ホントやだね。

唯一の救いはまだ気がついていること。
必死で否認、無意識の抵抗で気付かずが老化のサイン。

2015年5月25日月曜日

妄言

そこまで言って委員会聴く。

政治家登場だがウザい。

まあそう思っても相応の代表というのが定説ゆえ、慚愧の念を膨らませるが、よそよりましかも。

まあ、自分も鉄面皮で語れば大同小異か。
その前に泡沫ゆえ論じる要もなし。

2015年5月24日日曜日

気候フォーメイション

温かくなったので布団を蹴る。

動物は環境に合わせて立ち居振る舞うだけでなく、無意識の眠りの姿態も同じくする。
ワンコらは布団から降りたり、足元にシフトする。
それが朝肌寒くなるとそばにいる。

生き物はそれがいい、それでいい。

2015年5月23日土曜日

不思議ありなし

SNSで誕生日祝メッセージしたことに。
覚えなし。
確認のシステムなければ、それも知っていなかったかも。
管理システムの過誤なら気持ち悪し。
本気でするもんではない。

訃報伝えるが不在。
休みシフトが変わったとか。
知らず。

車谷長吉さんのように独り喉積めれば、奥様がそばにいても知らず。
人生とはそういうもの。

2015年5月22日金曜日

土方と榎本

三谷幸喜脚本の五稜郭物語を見る。

百年余り前はああいう時代だったのだなとしみる。

時代の曲線的変化をながむれば、そろそろ終わりか。

遠くのISもISだが、近場は北の崩壊からか。

2015年5月21日木曜日

ユートピア

どこにもないところ。

同窓会のハガキ。
懐かしいと思うことも、なんということはないということも、どちらもあり。
今や即ポイ。

子供の頃思ったことごとも、いまやノスタルジーも喚起せず。
逆に実現して当たり前になっていたり。
子供の頃ペットと同衾するなど本気で思ったことなかったが、風邪で寝込んだときなど想像したことあり。
いま、日々に経験。
ただし、汚れもして極楽ではない。

気分は歴史だけでなく、ちょいとしたことですぐ変わり得る。
人間の性か、ユートピア。

2015年5月20日水曜日

ちょい寒

時に雨が降る。

朝夕結構寒い。

しかし、それほど嫌ではない。

ちょい寒、昼若干暖かいくらいがちょうどいい。
SNSで元同級生が、いつものように熱い書き込み。
暑苦しい。
どこでそうなったか、元々そうだったのか、知らず。

適宜を探しワンダリング。
今日もいく。

2015年5月19日火曜日

不思議のbaby

youtubeで見たノンフィクションフィルムのアーカイブ。

ちょいとした多発障害を持つbaby。
この子が成長しない。
生まれたままの3000g未満で推移。
成長ホルモンを使おうが、何をしようが変化なし。
遺伝子解析しても、遺伝子異常は見つからない。

10いくつになってもbabyのまま。

放送でもコメントされていたとおり、未知の染色体異常があるのかもしれない。

この世にレアなことままあり。

2015年5月17日日曜日

環境設定

久しぶりにpcからモニターに動画流しながら入眠。

トイレに起きるとモニター終了モード。

何度も見ているDVDなので、子守唄になった模様。

見ようと思ったことは間違いないのだが、故事来歴ゆえ子守唄マシンになる。
まあそれでいいので、きれいな音楽をBGMにすれば気持ちよく居眠りができる。

ということで、こういうことを読み込んで立ち居振る舞うべきシーズン。

2015年5月16日土曜日

不思議の当たり前か

起きかけに時計をちら見。

ささっとは起きれず、しばし夢や何やわからぬ半眠りに戻る。

ずいぶんと時は経ったかと再見すると、ほんのちょいとしか経っていない。
こういう経験は寝起きに限らないが、やはり起きかけに多い。

邯鄲の夢なんてのは、こういうのの超大作なのか。

2015年5月15日金曜日

いったり来たり

どうも手付かずの掃除やっと完遂。
しかし、日々ゴミはたまるのでサイの河原は変わらず。

SNSのニュースではゴミ屋敷がすごい。
主の言い分は類型的だから、ああいうご仁が全国にずいぶんといるのだろう。
ゴミよりも現代的問題の集約的発現か。

いつものぞくSNS、減量考えたにもかかわらず、PC版とスマホ版両刀ちぇっく。
表示されるコンテンツがずいぶんと違うもので。

いったり来たりのすれ違い。

2015年5月14日木曜日

雨っぽい

リラ冷えなんて言葉があるが、これなのか。

別にもう寒くもないが、起きるのが面倒で、時計をチラチラのぞきながらねばる。

結局わんこのイニシアチブで起きる。

起きてしまうと、気分は変わり、さっさと起きてしまって動こうとなる。
数分前にノタノタと半眠りに執着していた自分はどこにいる。

またしばらくすると変わるのだろう。
生き物というのはTPOで適当なもんだ。

このところそういうダメ出しがデフォルト。
世紀末気分ではある。

2015年5月13日水曜日

別にどうということもなし

外は雨。

いまも雨あめふれふれの情緒を堪能している子もいるのだろうか?
そもそも集団下校だ何だと時代が違うか。

SNSもいじりが短くなって、これもさしてどういうことはない。

そして天災は忘れた頃にやってくる。
昔の人はクワバラくわばらと唱えたようだが、生きる様はいまも同じ。

2015年5月12日火曜日

惰性

慣性の法則というのがあるが、車も人も急には止まれない。

急にマイナスの加速度がかかると、カックンする。

逆もある。

喉元過ぎれば○○忘れる。
一応覚えてはいるのだが、切実感が消える。

ともに習い。
困ったものでもあり、救いでもある。

2015年5月11日月曜日

おぼろ

当地では桜と梅が同時に咲く。

開花期、満開時、ほぼ散ったころ、定点観察していると、梅かな桜かなと迷うことがある。

確実に梅、桜とわかると迷うことはないが、通してみるときわどい。

話はかわってSNSの書き込みをPC版、スマホ版でみると、みごと違う。
ソフトや営業政策その他いろいろあるのだろうが、これははっきりと違うとわかる。

別に桜と梅も、PC版とスマホもどうでもいいと思っているから大してどうでもいいのだが、いろいろと思い込まずおぼろとみておくのが穏当なんだろう。

てなGW明け。

2015年5月9日土曜日

爆雷

最初は予震かと思ったが、地震ではなかった。

滅多に聞けないレベルの雷鳴。それも数発。その後スコールのような強い雨音。

凄いなとは思えど停電のひとつもなく。

恐怖心は感じなかったが、何かふぬけた感じに。
爆雷雨の夕べ。

2015年5月8日金曜日

じゃあくっせえ

SNSやRSSの巡回を軽くした。
冬は心身のウオーミングアップの意味もあったが、人々の言説はほぼ例外なくマンネリであり、飽きれば遠退く。

もちろん己もそうで。
人が孤独になっていくのもわかる。
別に必要ない、あるいは求めても不能となれば、体裁で群れる程度。
すべからくナンタラハラスメント、コンプライアンス問題となれば、桑原ほかなし。

なんてごちるのも久しぶり。
やっとこさ時代の尻尾に近づいたが、もう遅い。
落ちようのないシミの多いこと。

2015年5月7日木曜日

ゴールデンウィーク

特に変わったことのあったわけではないものの、一応気分は気分。

Youtubeで古いドラマのシリーズを味わう。
月日のたつののはやいこと。
ぶっこ者も多く、しみじみ。

桜の華やかさ、今年はかんじず。
年々に出来が違うか。

2015年5月6日水曜日

快晴なるも

散歩さぼる。

あまり天気がよいと、これまた短足わんこの熱中症が心配。

それでなくとも犬娘は心肺機能が心配。
少しオーバーランするとゼイゼイ。

動かぬと運動不足。
超えるとゼイゼイ。

微妙な線を今日も旅する。

2015年5月5日火曜日

水入りちょい隙間に

お散歩。

大した雨ではないが、その後おしめり。

雨にけむる桜も悪くなし。

ただ、桜の下でジンギスカンの人たちは結構大変だったかもしれない。

公園のそばの駐車場もこみこみだったから、グループ等にはコンチクショー。

2015年5月4日月曜日

にぎやかさのおすそわけ

ご近所恒例の飲み会。

にぎやかにぎやか。

あまりにぎやかでうるさいので、途中公園に避難。

しかし、年に数回のおたのしみゆえ邪魔する気もなし。
炭焼きの匂いだけだがご相伴。
それ自体は悪くない。
ただ、これもいつものことだが、お開きの手拍子の後も、ながっちり組が声高に騒ぐ。
まあご愛敬の範囲ゆえ無事終了。

めでたしめでたし。

2015年5月3日日曜日

夢の中へ

下敷きをタオルケット風の軽量に変えたせいか軽やかな夢をみる。

学生のような、若者のような、いまであってもいまでないような、オムニバスに色々と推移する。

ちょいと浅眠になると、夢だったかと気がつくが次の夢に移る。
夢だったかのかと自覚するときに、実現不能に気付くとちょいと寂しい気分になるが、次の夢も割と軽いステップ。

ゴールデンウィークというほどでないが、春の夢ひととき。

2015年5月2日土曜日

ぼちぼち

月日の経つのははやいのに、いやはやいからこそだろう、遅れをとる。

やっと下敷きを変えた。
あわてると、深夜、朝方寒いというのもあり、引っ張った。
さすがに、春から夏モードにシフトすると我慢ならぬ。

ということで、軽いタオルケット風にすると実に心地よい。
こんなことならさっさと、と思わぬでもないが、やはり日内変動に引っかかるとまずいと引っ張る。

まあ、過ぎてしまえば、どうでもよいこと。

2015年5月1日金曜日

さくら

咲くで、まだ散らず。

夏日が来ても、まだ満開にあらず。

土手のピンクが気持ちよい。

ただし、夕までの高温が寝入りディスターブするのは気持ちよからず。
クーリングを考える必要あり。

2015年4月30日木曜日

寒暖サンドイッチ

桜が咲いたと思ったら、急に暑い。
汗かき入眠。

かといって朝方は涼しいというより肌寒く身体を縮める。
睡眠中の寒暖差は対応困難。

ぼやいてごまかす。

2015年4月29日水曜日

自分でバンバン

お役所に近い某機関に照会。
マニュアルに書いてあるも不明ゆえアクセス。

結局別に問題はなかったのだが、後でいろいろ見ても、これじゃわからんよなという記載。
故事来歴があって、分かりやすく書けない事情などもわかりつつ、やっぱりお役所仕事だなと思う。
これでもましになった方。

もう怒る元気もあまりなく、こういうところに生まれ死んでいくのだろうと自らに引導渡す。
よその国ならとか、この程度も無理かもって聞くと、怒るより萎えるほかないかと思ったり。

2015年4月28日火曜日

暑さのせいか

暑いといったってしれたもの。
日頃寒目基調のところだから、ちょいと気温が上がると暑いと感じる。

寝苦しかった。
悪夢ではないのだが、なんかめちゃくちゃ不整合なことを考えているなあとおぼろげに、かつ何べんも感じる正体不明の夢をみた。

眠っている途中に起こされるハプニングもあって、アンハッピーとは思いつつ、さほど不満もない。
ハッピネスへの期待感が乏しいゆえの結果だろう。

桜がほころびはじめたし、よしとしよう。

2015年4月26日日曜日

ターンオーバー

場所塞ぎの古本を始末してスッキリしても、またアマゾンをポッチして場所が塞がれていく。

電子ブックは好みでないが、あれも保存性が確保できているわけでもなく、欲しいと思えばこうなるのだろう。自分の嗜好なら。

まあ、何も刺激を受けない生活も寂しすぎ。
この程度のターンノーバーに流れるか。

2015年4月25日土曜日

往生際

いいのわるいのとの表現があるが、実に難しい。

まあ運命というのは選んでいるところはあるものの、不可避、宿命というところがある。

また往生際の認識も難しい。
認識能力が要る。
肝心の往生際には、それがなくなっていることも難しい。

そもそも伝聞しかない。
本当の往生際、固有の往生際は、誰もわからない。
ああいうのも、こういうのもーあったらしいぞというほかない。

それでも凄いなとか、やっぱりそうだろうなと思えることもあり。

こういう風にああでもないこうでもないなんぞはろくなもんじゃないだろうが、ハムレットじゃないが文学にもなるはなるし。
まあlet it beというもんか。


2015年4月24日金曜日

さいの河原

面倒くさいとたまってきた諸々を久しぶりにクリーニング。

考えてみるに、生きているのがこれの繰り返し。
故立川談志師匠の奥さんは、掃除はゴミを他所にシフトするだけだとカッパしたので、師匠が掃除するのだと言っていたが、人間はすぐにゴミが出るのがわかっても掃除しないと生きていけないというエントロピー増大の法則によるしばりを負わされて生きる定めになっているから、どこかで諦めて作業療法のような行をするほかないのだろう。

そういや高齢化に比例してゴミ屋敷が増えている。年を取るとエントロピー増大に逆らう気力体力が落ちてくるから、一種の社会的宿命のようなものだろう。
特殊清掃戦う男blogなんぞを読むと、年寄りだけでなく若い人たちにも結構みうけられるよう。

宮台某社会論客の言うように、終わりなき日常性に倦めば、生の基本である清掃の繰り返しにも倦むのだろう。
ゴミの中で沈没というパターンも多いらしいが、一種究極の自由国家の象徴ともいえるかもしれない。
わがエントロピー回収機構は頼りなく、端正に生き死にできる自信はなけれども、ゴミの中で回天に乗り切る自信もない。

ということで、当面はのらりくらりと遊泳か。

2015年4月23日木曜日

マイペース

犬娘のゼーゼー承知で散歩。
運動不足を重ねるとよけい心肺機能が落ちる。

先代の犬息子もお陰で直前まで動くことができた。
つらそうにしていたのを抱いて動けたのもお互いの幸せのように思う。

もう愛犬は最後にしようと思っているが、有終の美は常に意識せざるを得ない。
養老さんと近藤さんの対談集も無事に到着し、半分近く読み通す。

残りはじっくり。

2015年4月22日水曜日

日だまり

雨のち晴れの日だまりを狙って散歩。

今日に始まったことではないが、犬娘の歩みがおぼつかない。
まだ五歳にして非常なグラマーゆえ、心臓がやっとこやっとこのよう。
それに分別なしの犬息子がかまって息を余計に切らせるから、ゼコゼコ。
チアノーゼまでは出ていないが、楽でないのは動きや呼吸でわかる。
最後は抱いて川原から上がったが、こちらもハーハー。

これではともに長くはないかも。
まあ、生き物ゆえおぼろに推測予測するばかり。

今日着する予定のネコバカイヌバカ対談を楽しみにゆるゆるするか。

2015年4月21日火曜日

雨がしとしと

雨だけでなく、結構冷える。

内地では桜も散っただろうに、こちらは桜前線まだまだの気候。

雨のなかの散歩は好きでないので、雪のシーズンと同じくおこもり。

つまんないな~♪

2015年4月20日月曜日

エントロピー

ゴミだし、掃除で時間に負けつつある自覚が生じると、エントロピー増大の法則を思う。

そう思うなら精勤に手足を動かせばいいのだが、年をとると遠からずそれも無理になるのだろうと見込み負け型肯定に陥ってしまう。

徐々に生きることのエントロピー増大が進むのなら、焦らずそれに合わせてフォローする方法を考えるほかない。

今のところ、そのように考えてない知恵をしぼっている。

2015年4月19日日曜日

CMもどき

昔、キンチョールのCMで、桃井かおりだったかが「おじいちゃん、また死んだふりして」なんて呟くものがあったが、すぐにお蔵入りになった。

不愉快に思う高齢者が出たり、流行ればギャグっぽく年寄りをいじる事件も起こるだろうから、それなりにポシャった理由はあろう。

それを真似たわけではないが、寝る前にやってみた。
ワンコらの反応は、それなりにあった。
心配そうに手や足を舐める、ちょいとバタバタと水を飲む。
飼い主に何かあったという認知はありそう。
そのうち、一緒に横に寝だした。

死ねば硬直、体温低下等がくるが、それはないとわかる。
バイタルの診察を教えられなくとも、動物は本能として知っているよう。

ということで、あそびぐせになってもと思いすっくと起きた。
Jrの先代が亡くなったときは、静かに逝った。
どちらがどうとは定めのない生き物ゆえ、この頃はやりの粛々といかざるを得ない。

CMもどきもすぐお蔵入りで落着。

2015年4月18日土曜日

スクランブル交差点

朝のネット回遊。
SNSのフォロワーの書き込み。
スパムメールでよく来る労力なく日銭なんぼの文面。
拡散依頼でアップと付記。

いやほど詐欺事件が発生する現実。
他の書き込みみれば普通なのだが。
そういう時代なんだ。

別のネット知己の書評。
自己決定と共同体云々、字面はいつものごとく整うが、上記のような現実は捨象。
まあ、実業か虚行か知らぬが、それで行けている面妖さ。

ところで、昨日最後にみたyoutubeのおひとりさま老後の某名誉教授によるレクチャー。
ほんに高齢化、独居の進行度の甚だしさ。
現実、理念がほぼかすりもせず津波の如く走ってくる。
スクランブル交差点を越えている。

2015年4月17日金曜日

夢の中

夜半に強風。
そこそこ覚えている。

ただ、夢もみた。
どうも覚醒時の思いとずいぶん離れた夢だ。

養老翁は、三分の一は寝ていて、こういう起きているときとは随分雰囲気の違う夢もみたりするのだから、思い込んではいけないと言っておられた。
確かに、何で夢でそうなるのかわからない。
しばらくすると夢をみたことも忘れるのだから、記憶の基にはならないが、何か覚醒時と違った揺れが起こっているのだろう。

そういうよくわからぬ自分も含めてちょいと自分を離れてみる。
大事かもしれない。

2015年4月16日木曜日

やぶ蚊の具合

昨日に続いてyoutubeで記者会見アーカイブをBGMに。

決定的な証拠がなく、やぶのなか的議論が各当事者より発信される。
マスコミとの質疑応答も靴隔そうよう。
記者らの問題も顕著。

まあ、最終的には、ああいうところか、こういうところしかなさそうな藪の中。
法人も身から出た錆の部分が大きければ、あとから見ればこんなところか。

きれいな最先端も、大した水溜まりなくとも、やぶ蚊がわく一歩手前のあり様。
そういうことがよくわかった。

2015年4月15日水曜日

やぶのなか

YoutubeのアーカイブでふとSTAP細胞事件の会見録に出会う。

当事者や関係者の質疑応答を聞いていると、無惨な印象深まる。
死亡者まで出てしまっただけでなく、無茶苦茶な焼け野原が残った感じ。
マヌーバーしたご本尊が一番悪いのだろうが、そういうことを可能にしたマネジメントもいかんのは明白。

ISなんぞが文明の恵沢の地でレトロで最先端な悪行で世界情勢を揺るがしているように、最先端の科学先陣争いが、こういう悲喜劇のごとき総括を次々と映写させてゆく。
今日もBGMに流してみる。

2015年4月14日火曜日

面倒くさい話

朝のルチーンでSNSをうろうろしていると知己よりメール。

面倒くさい話の面倒くさい相談。
いかに面倒くさいかやりとりしているうちに、互いにホンに面倒くさいと。

やはりこの世はそうだったか。
あわててやろうにも簡単に解決しない諸々をまといカウントダウンしている。

まあ、ぼちぼちやるほかない。

今日は一日こんな感じが続くか。

2015年4月13日月曜日

結局

投票所に赴く。
ちょうど昼だったので隙々。

ちょいと心変わりもあった投票行動だったが、つつがなく推移。
当選もあり落選もあり結果みてないのもあり。

これから確認してみよう。

2015年4月12日日曜日

選挙

だいぶ連呼を聞くのにうんざり。

選挙戦は昨日でおわり。

いままで選挙は国政選挙でも地方選でも欠かさず投票してきた。

ちょいと嫌気モードなれど、やはり投票はしてこよう。
なんてただいまは思っている。
実際は時間が経たないとわからない。

2015年4月11日土曜日

ははは

いつものようにとれた歯冠をティッシュにくるみ予約時に出向く。
ラストだったので、しまい湯。

それでもなんとかリカバーできて帰る。

門松など立てず、だらだらと一里塚がはっきりしない道程を、歯の修理で目の子する。

門松と同じく、なおすほど生きているとことほぐべきなのか。

2015年4月10日金曜日

ノタリどころか

久しぶりにワンコ孝行に遠出。

陽気も悪くはなく平年並み。

しかし、まだささやかに雪は残り、波頭は厳しく光っていた。
前に釣りではなさそうな中年が海を見つめる。
帰りに遠目に見ると、サーフボードっぽいものを抱えている。
こんな寒々しい海で泳げば心臓どうにかなっちゃいそう。

もちろん、だから板っぽいものを抱えて退散したのだろうが、遠目に波を見ている姿はやっぱり波に乗りたかったんだろうな。

思いと現実はいつもそれなりに乖離。
甘いエネルギー源を求めて飴を加えたら、クラウン離脱。
悲し。
のたりノタリの風景みたし。

2015年4月9日木曜日

ゴメンね

寒いので散歩をサボってしまった。

Jrがつまらないとアピールに来る。

結局行ってやれなかったが、やはり生き物にルチーン大事。

さても、今日も結構冷々している。

ホットなのは虚しく候補名を連呼する選挙カーばかり。

しかし、日差しを祈ってストレス発散はしてやらねばなるまい。

2015年4月8日水曜日

まさかの

雪。

最初は綿ゴミかと勘違いした。
ワイパーで消える、これは雪だと気づく。

東京では桜が満開。
全国的に冷えたらしいから、桜も開いたものの寒かろう。

スピーチ定番のまさかのスケールからしたらどうだろう。
朝も片つけた電気アンカを探して目が覚める。

この程度のまさかは牧歌的。

2015年4月7日火曜日

講話

スリランカ出身の仏教長老の講話ページに引き込まれて読みきる。

BGMに流していたYouTubeのアーカイブでは、イスラム国の最新情報の対談をやっていた。

情報社会で向こうから地球の裏側の情報まで入ってくるが、あまり嬉しいわけでなくげんなりすることの方が多い。
昔だって、狭い範囲でうれしくもないクルーシャルな情報に翻弄されながら苦労したのだろう、きっと。

今は不感症になるほど傍らを有象無象の情報が駆け抜けていく。
講話も情勢も質は悪くなく、上等で無料。
うんざり。

2015年4月6日月曜日

M

M資金なる実なのか、都市伝説なのかよくわからぬ詐欺騒動がよくある。

昨日も某SNSの「友達」人士から、何百億の負債がどうでこうで、お礼がどうでこうでというようなメールが来た。
横文字で名の知らぬ国から、膨大な遺産があって貴方に使っていただきたく、ついては、、、、云々のいわゆるスパムメールはよく来る。

善良な「友達」がその上流から釣られてあたってきたか、そういう途方もない事例にほんとうに遭遇したのか、友達なんて言葉にふさわしいプロファイリングはゼロ、どこのどなたかも存じない人様ゆえ知らず、そもそも興味なし。

まあ、こんな時代なんだろうと思うばかり。

ずいぶん昔に、しばらく同僚だったNsより電話あり、出ると「ビジネスのお話を」と。
寿退社してすぐにネットワークビジネスの尖兵になっていた。
今はどうしているのだろう。
あの頃はまだネットもなく、せいぜい大儲け、お得くらいの惹句くらいだったと覚えている。

最初の話のSNSでは、弁護士らがひでえ奴がいるの噂話。
自分のホームにエグい書き込み、何を考えているのかと。
某グループに入っていたから躊躇してたが、あれは尋常でないとホーム記載を晒していた。
確かにガリガリもうじゃの本音のような書き込みで、常識を疑わしめる内容だが、「正義」のグループだって、そのような人間の本音からすればメシの種。
M資金やネットワークビジネスでなくとも、専門職もメルトダウンで、これも頭文字はM。

医療関係でも利益相反、黄金色のこのような話もニュースになるが略。

頭文字でなく、尻尾がM。
淫祀邪教の頭目の処刑も近いとの噂。
外国でも宗教活動名乗りテロ狼藉を極める事変日々。
見事末法の時代。

と言いつつ覗き見し続けるほかないわけで。
ムムムム。
MMMM。

2015年4月5日日曜日

SNS覗くと各地の桜がきれいだ。

こちらはやっとこ雪が消えるか消えないかで、約一ヶ月の時差があるゆえ、遠い外国のような気分のする風景。

SNSで読んだニュース。
見覚えのある地名。
拾得した財布の中身を領匿して逮捕された話。
コンビニ近くならカメラもあろう。
天網カイカイなのだが、まだ実感がないのだろう。

桜の樹も見ていたかも。

2015年4月4日土曜日

また外れ

雪が完全に消え去るかと思ったらさにあらず。
ちゃんと残っている。

やはり一晩の雨よりも、淡々と続く温度上昇。

あれだけポカポカ続いても消えなかったのが、一日一晩では消えぬわな。

今年もまた外れ。
毎年こう思って外すのは、そろそろ完全に消えろという希望的観測か。

2015年4月3日金曜日

雷鳴

雨音高く、合間に雷鳴す。

さすがにこれで残雪は消え果てるか。

衛星写真では台風の姿。

蟻のごとき人間様を置いて季節は回る。

それが総じて時代は回る~♪

ところで暫く前は雨音に気付かなかった。
ほんの少し前に振りだしたのかも。
もう少し寝ていたかった。

2015年4月2日木曜日

嘘の効用

特に素晴らしい嘘も発見せず。
嘘発信の能もなく。

考えてみれば世は虚構に満ちて、新年度初日はあたかも今年度も虚構に満ちた例年の路線を踏襲するとの確認作業の如く。

そこで大した発受信の才も発揮できぬとなれば、この年度もいつもの如く年貢は納めておけとのご託宣か。

2015年4月1日水曜日

虫だらけ

タブレットを変えて書いてみると。
同じブラウザ、ワープロでも、いつもの癖が出ない。

不思議だが、こういうのバグというのだな、きっと。
機械にもあれば、人間にもある。

機械は不具合と、機器の比較で気がつくが、人間の場合は自分ではわからないことがまま。
機械のバグもバラしてもわかるわけではないが、人間の場合はもともとばらせない。

ザムザが変身して虫になったのもわかるような気もする。

2015年3月31日火曜日

スキップ

春になって、スキップらんらんらん、という話ではない。

昨日はタブレットを変えてネット散策したのでblogをいじるのを忘れた。
どうでもよしないブツブツゆえ、それはどうでもいいのだが。

とんでしまうペースメイキング。
ペースメイクするなら、もうちょいましなことがないのか。

そんなことを思いつつ、そこまで言って委員会と朝生の直近アーカイブをBGMに。
どちらも昭和ノスタルジー色つよい。

そろそろ終わりのはじまりというより、真っ最中化?

2015年3月29日日曜日

only yesterday

YouTubeのお勧めに見覚えのある題名。

年代からすると、30年以上も前。
今は白髪の翁の姿が、まだ青年。

監督も左の作品も作れば、ピンクも得意と活動していたころ。

車も古い。
携帯もない。
昭和もまだ昭和昭和していたころ。

こんな映画、どこでみたのだろう。
Dejavuでなく、本当にみた記憶はあるから、あの当時なら場末の映画館か。

主人公のシャキナベイビーがアングルによっては元首相の面相によく似ていて驚く。

その監督も、先日交通事故だかで急逝。
ホント、人生の儚いこと。

2015年3月28日土曜日

内ゲバ

それほどシビアにもみえないが、ネットで保守派の内紛をウオッチ。

しばらく前は、お互いにヨイショしあっていたのが、いまや悪罵の応酬。

右と左など、敵扱い同士は、論難はすれど、もともと気が合わず、相手のことは気○○○と思っているゆえ、こういう形の憎悪劇にはならない。

ところが、同志と思っていたのに、あんな奴だったのか、はキツイ。
別に今に始まったことでなく、大昔から仲間内の喧嘩は凄惨を極めることが少なくない。

あんな奴とつきあった、あんな奴を推奨した不明を恥じる、そうは言うものの、基本的な発想は変わらぬから、このマッチが一区切りしても、また別人とやりあうのだろう。

こういうの見ていると、昔の皇道派統制派の抗争を連想したりもする。
かくして、また負けちゃうんだろうな。

2015年3月27日金曜日

元鞘

元のブラウザとワープロに復帰。
やはり使いなれたものの方が数段使いやすい。

必要あってheavyに使うとはっきりと時間差、誤字率に出る。
たまにこういう不具合が出ると、この辺りのあやがよくわかっていい。

さて、ちょい遅いスタートになったが、こういうのもいい。
マンネリの時間推移が少しフェイントがかかって刺激になる。


2015年3月26日木曜日

同じタブレットにバンドルされているブラウザだが、たまにフリーズする。
いまもフリーズ中。

ということで、日頃使わないもう一方を使用中なのだが、日頃こちらを使わないには理由がある。
改行しての初入力が、うまくいかず、再入力の必要がある。
別にその手間を惜しまなければ十分使えるのだが、ブラウザやワープロにもなくて七癖あり。

このところそういうのがよく見えてスッキリ。
週刊誌も定番で読んでいたのも読まなくなった。
新聞バッシングするほどでない同類の癖を見いだしたから。

もう要らぬものばかりだが、一番面倒なのが残っている。
いましばらくゆえ我慢するというものか。

2015年3月25日水曜日

風雨強かるべし

夜半に風の音が高じた。
彼岸のころにこういうのを経て雪が消えるのを思い出した。

昼間のように霰が窓打っていたかは夢うつつで定かでない。

養老翁と建築家隈氏の対談本を二冊読んだが、少しというか、かなり違和感。
まあ、養老翁がいつも書かれているように、書物は癲狂院のようなものであるし、考えてみれば読む方だってパラレル。
組み合わせによってしっくりくることもあれば、なるほどと思ってもありがたいと思わぬところもずいぶんでてくる。

それに輪をかけたようなのがネット。
ずいぶんと軽症化したリアルに比べ、妄想、リゴリズム、その他実際の一刀両断を欠いたテロリストの如くまがまがしい言説が空中戦を繰り返している。

このような嵐は、春への過渡期でもなく、環境をより汚染しているようにみえる。
いわば戦前、いやびまんしたテロや確執を特徴とする現代をいうならば戦中か。

朝になって、日差しの明るいのが眩しく快い。

2015年3月24日火曜日

見ぬもの清

鶴の恩返し、やさぶろえ、その他こわい話はずいぶんある。

見るなの禁止を講じた友も、ドンタッチの言葉を敢えて無視して歌った。
友情だなあと思う一方で、さわらないで欲しいご本人の気持ちも思う。
だいたいは、こういうことは生きている人の自由になるから、言い残しても無駄かもしれない。

いろいろ見ると、語りづらくはなる。
戦争体験のある某万年助教授は、言えないこともずいぶんあると言っておられた。
単にPTSDなどと今風の話でなく、黙するほかない歴史的事実も山ほどもあろう。
五木寛之氏がご母堂の死をとつとつと書かれていたが、言葉を選んで、筆が折れそうなほど抑制が利いた筆致で、読めば想像できるものの、読者もrefrainし難い。

イスラム国の連中が、先祖帰りしたような残酷さで狼藉を繰り広げているが、大人しい戦記ビデオ見ただけで、実際の戦争のきつさがわかる。画面の端に山のような被弾者が横たわる。
首切りはイメージとしては恐怖の植え付けに好適だろうが、旧式の砲戦でも一瞬に屍の山であり、のんびりとした気持ちなど一瞬に飛んでしまう。

北アフリカといっても、イタリアのほんの先。
観光しかない国なら、恐怖のイメージは死活問題。
見ぬもの清でいかぬ現実ではある。

2015年3月23日月曜日

雪投げ

まだ少々残っている雪の塊を路上に投げる。
その下の土がぬるんでいる。

玄関のタイルが幾ばくか剥げ落ちている。
結構厳しい冬だった。

せいぜい二、三十度の幅の中で生きている。
温度だけでなく、ホワイトアウトの中を行進して死ぬかと思ったのもついこの前だ。

季節は巡り、こちらは少々おいて行かれ、ノスタルジーにひたりながら、新しい芽吹きに目をやったりもしている。

玄関、横は少しさっぱりしたが、裏は放置で大丈夫だろうか?

紫陽花の枯れた茎を踏みおろうとするも、反発力に負ける。
あれだけの雪にのしかかられてかくのごとく強くサバイブしている逞しさ。

2015年3月22日日曜日

久しぶりに

公園に。
ほぼ一冬ご無沙汰したが、やっと雪が消えた部分を歩くことができ復帰。

わんこらも欣喜雀躍。

気に食わぬおばさんに吠えられる。
破瓜型の大人しいおばさんと思っていたが、虫の居所が悪かったのだろう。
いつもブツブツが高じて被害妄想が爆発してもよろしくない。
あえて遠目に歩いたのだが、むつかしいものだ。

春の日の陽光は快いが、世の中の環境は芳しくもなし。
われらが世界、広くかくのごとしとならば、あえてノンシャラン。

当面このペースで雪の融けきるのを待つ。

2015年3月21日土曜日

人はパンのみにて

地下鉄サリン事件から20年。
震災と違って、教祖抱えた集団による故意のテロ。

もう20年も経つ。
イスラム国を称するテロの脅威が語られるが、ちゃんと日本発の淫祗邪教がサリンなる猛毒ガスを撒いて多数の人々を死傷させた。

イスラム国に魅了されて、イギリスから渡航する少女たちの話を、YouTubeのニュースアーカイブで聞いた。
上手なオルグということもあるのだろうが、よくもまあとは思う。
もちろん、オウムも高学歴諸氏が手足となってテロを遂行し、そのまた一昔前の連合赤軍なんぞも大同小異。

そういうものなんだろう。

イデオロギー、宗教、いろいろ形はあれど、生のエネルギーが内攻してかどうか、鬱積し濃密となり遠慮会釈なく世の禁じ手を、こともなげに遂行する。

これが人間がすることだから、される方は鬼畜の振る舞いと罵るが、純然たる自然災害のようなものならばクワバラクワバラと念仏しかない。

人はパンのにみにて生きるわけではないが、ある意味で豊かになればなるほど、この手のフラストレーションがたまるということはある。

至極むつかしいものである。

2015年3月20日金曜日

~♪は、意図的。
いや無意識か?

まあ、全体的には、相手がこうすりゃ乗るだろうな、というところを適宜にセットして、やっぱり嘘だったじゃんよって話か。

丸々しっかり意図的に絵図を描いた詐欺事件は、嘘とよくみえるが、多くの往来、やりとり、起承転結は、それほど明瞭でない。

嘘のなかには、他人様相手の嘘だけでなく、自己欺瞞なんて自分を意識的に、あるいは無意識的に騙すなんてのもあるし。

強気の国士風のこわもてが、病気になったらすごく弱くて自死しちゃったなんてのがあるかと思うと、歯医者でタービンの音を聞いただけで失神するようなこわがりが、いまわの際は、しっかりと皆にあいさつしていったなんてのもあったり。

動物なんぞには、擬態をなりわいに、他人様の労力、成果を素知らぬ顔でかっさらえたり。

まあ、この世は嘘ばかりでできているのかもしれないが、人々が高貴な嘘に感動して物語まで出来ることもあったり。

虚実も実はよくわからんという量子力学っぽい朝。




2015年3月19日木曜日

春眠、、、、ちょいと

暁はちゃんとおぼえており、適宜には目覚める。
ただし、ちょいと後ろズレ。

どうせいずれは永遠に眠るのに、いま眠りを貪ることもないだろうとも思えど、慌てて起きて特に急く用もなければ、適宜に目覚めるまで寝てればいい。

そう思うところが少しの後ろズレ。
寒い冬の方が、起きるのが厭で布団から起きにくいようにも思うのだが、自分の場合はかくのごとし。

起きて朝風呂に浸かりながらタブレットなんぞ叩いてると、これも無駄にも思う。
昨日読んだ養老先生の新書にも、SNSなんぞやらないと書いておられた。
自分がそこそこネット三昧しつつ、こんなもの要らないと思っている。

これも要らないに入るのだろうが、某タレントの死後騒動の反論本。
興味本位で取り寄せて読んでみたが、どちらもスラプスティック。
やっぱりご本尊がしょうもなかったんやろなとなり、周りの有象無象もそうかとなる。
ほなら、今のこれもあれやわいなと、足下も色褪せる。
ほんま困った春の夜明けの夢。

2015年3月18日水曜日

遥かなる戦い

もうすっかり値崩れして安い太平洋戦史のDVDをボチボチと観ている。

撮っているのは米軍の広報だから、ほとんど日本軍が追い詰められるシーン。
間投的に日本側のフィルムや米軍が撮した特攻シーンが出てくるが、まあわれらがご先祖がぼこぼこにされる図がほとんどとなれば切なくはある。

物量やロジスティクスを垣間見ると、これでは負けるはなと思う。
他方、アメリカというのは、ほんに好戦的な国であることよとも思う。
日本に焼夷弾と原爆を食らわせて属国のごとくしたあとも、朝鮮、ベトナム、アフガニスタン、イラク、延々と河岸を変えて戦争を続け、休む間もほとんどみない。
しかも、朝鮮、アフガン、イラクなど終らずに次の火種を抱えつつである。

もちろん、よそ様からみれば、しっかり厭戦のお札を押し付けられたことを奇貨として、米だけでなく、ロシア、中国、ヨーロッパ、その他どこも許されていない自衛負担フリーで経済的利益を確保しやがってということになるかもしれない。
追い詰めるとキレ易い国民性でもあるから、あの程度で置いておけばいいと思われているのかもしれない。
別に薩摩の守というばかりでなく、自衛隊も持っていれば、思い遣り予算も立てているから、そこそこよそ様並だと言えなくもない。
高い装備を買わされて、基本ソフトは自主使用できぬようされているらしいから、実質的な評価はむつかしい。

てなことを思いつつ、白黒画面でほんの数十年前という感覚でみている。
ということで、このようにみえるということは、わが世の残余もそろそろ払底が近いか

2015年3月17日火曜日

ビュリダンのロバ

心理学でたとえ話に出されるが、空腹のロバが左右の干し草の中間点にいる。このロバが右にも左にも行けず、中間点の現在地で右顧左眄しているうちに餓死してしまう。

どちらかを選べば後悔するのでは、失敗するのではと不安が出て、結局最悪の結果となる。

いまの時代がこういう風景かも。
右に行っても左に行っても、ああじゃありませんか。
まだ高度成長で、右も左も真っ暗闇じゃござんせんかと歌っていても何とかなっていた時代は、まあそれでもよかったが、いまやそれこそが現実。

そういうことすら人口に膾炙せず。
質の向上が叫ばれる一方で、悪質な出来事が頻発し、子供が少ないから歓迎されるかと思いきや、遊びもできぬ窮屈な環境。
年寄りも素直に長寿は喜べず、長生きはリスク。

ままよ。
ロバも干し草なんぞ気にせず、放浪すればよかったのかも。
ロバも歩けば棒に当たる。
そういや、このところわんこも棒に当たるような自由散歩は夢のまた夢であることよ。

2015年3月16日月曜日

紙一重

休みの夕に、コラムニストと科学ライターの対談アーカイブをYouTubeでみた。
アーカイブといっても極く最近のものだ。

勝谷某氏も政治だ風俗だばかりで走り回っているのかと思ったら、このところ自然科学づいているという。相手の竹内某氏は理論物理の研究からそれて科学ライターになったお方で、どちらも賑やか。間に若いアシスタントのお姉さんが、素人感想を上手に挟む。

素粒子の動態や宇宙論の話を聞いての感想は、初めてではないが、いつもシュールで、何とかと何とかの間は紙一重と言われるようなわからなさを感じる。
どちらも土素人の領域だが、仏教哲学などにも似ていると思えど、いくら色即是空と耳にすれど、死んでも骨は残り、しまいには化石になったりする。
そんな即物性と、理屈上の訳わからなさも両立はするような気がして、まあワケわからず生まれて、ワケわからず生きて、ワケわからず死んでいくらしいことは、このごろ骨身に沁みてきたから、あとは体験の始末だけだろう。

先般も、ノーベル賞候補レベルの俊才が、病死その他で亡くなったが、別に不思議でなく、普通の人がよく亡くなるようななくなり方だ。
洋の東西問わず、もっと長生きされたビッグは、そこで宗教的なこともおっしゃるようになる。
この辺りも、よくあることというか、よくにている。

紙一重から神一重になって顕在性を持った個人というシステムからは失せる。
諸行無常なり。

2015年3月15日日曜日

レバタラ

深夜食堂のある回に、レバニラとニラレバが出てくる。
どこが違うのだろうと調べてみると、どちらが主かの違いにすぎないようだ。

レバタラとタラレバの違いもよくわからないが、レバタラ、タラレバ、どちらでもいいが、仮にこれがこうなっていたら、結果は真逆だったかもよという議論がよくなされる。

この前どこかで織田信長が本能寺で焼き討ちに合わずに天下を取っていれば、日本は世界の覇権国になっていたかもという記載をみた。
義経は死なずに、実はジンギスカンになったのだという途方もない話もあるくらいで、レバタラを超えてトンでも歴史噺に飛躍することもままあり。

しかし、実際はそうなるべくそうなった、こうなったということがほとんどだろう。

先日久しぶりに戦国自衛隊のDVDを観たが、近代兵器は確かに戦国時代に比べれば超弩級の破壊力を持つが、砲弾や燃料が続かなければ、いずれただの箱や筒になる。

レバタラでなく、だからこうといったところで物事は進む。
そしてその原理はというと、勝者必滅会者定離。
わが国得意のもののあわれ、無常ということ。
だからこそ、レバニラいやレバタラは精がつくのだろう。

2015年3月14日土曜日

存在するものは合理的である

実におかしいなと感じることがずいぶんとある。
矛盾を何とも思わず。
厳然と存在する事実を無視して。

しかし、考えてみれば、そういうことさえ合理的でもあるのだろう。
矛盾なしでものの運営が困難ならば、一定能天気になることにも必要性、合理性はでてくる。

もちろん、あまねくこれをやればベタの現実肯定主義や暗転したときの総懺悔でうまくない。
その辺りのバランスも大事だろうが、まあ万物の霊長と厚かましくも思い行いする存在だから、そういうものではあるわけだ。

少しトウが立って、そういうところから離れて自省してみたいと思えど、ここまで来るにずいぶんといろいろにまみえている。
新機軸など至難。

やはり、殊勝な心があるならば、カウントダウンに合わせてブツブツとお経のごとくゴタクを吐き出していくというものか。

2015年3月13日金曜日

回る回るよ~

まだ小さかった頃のこと、便所はぽっとん、汲み取りだった。
故郷を出て、生きていまや水洗どころか、ウオシュレット、自動洗浄等々が当たり前のようになっている。

汲み取りの頃は、堆肥にも使っていたようで、保健の時間に回虫などの生態を堆肥にからめて教わった記憶がある。
いまも北朝鮮では、し尿が経済的価値と認められて、足らない家は税の如く堆肥代を徴収されると聞いたが、近代的な肥料が発明されるまでは、我が国でも似たりの部分はあったよう。

ところで、このところ医療で糞便の移植についての話をよく耳にする。
トレンドのひとつのよう。
医学や医療は、プラクティカルなものだから、効用があれば別に不思議はない。
あれだけ除菌だなんだと清潔イメージを売りながら、これ。
病気で困って、それが効くとなればおかしくもない。
別にトンでも医療ということでなく、無菌のヒルやウジ虫を傷の治療などに利用する向きもあるようだから、何でもありのうちのひとつだろう。

虫と言えば、回虫の一種のアニサキスが、未発見のガンに蝟集したことにヒントを得て、尿からガンを診断する方法が開発されているところらしい。
まあ、オシッコ一滴で「あなた原発不明のガンです」なんてご託宣受けて、いろいろ探しても出てこず、分かるまで時間待ちなんてなれば、大きな不安抱えて、どこがご利益なのか分からないが、それはそれで技術進歩なんでしょう。

オウムも頭に何かかぶってマントラを唱えていたが、脳科学系の先端技術もあの手のかぶりものが日進月歩しているごとく。
フェイクとほんものもきわどい。
きわものといわれるものも、きわものなりにらしき口上は向上させる。
昔、何とかワクチンで門前ぎっしりのところが、ちょいと座ればピタリと当たる式でトンでもと揶揄されたが、正統派といわれるところとどう違うかというと、回虫モドキの根拠がないのに自信ありげに言うからですという話。
大昔、大病の貴族が、貴金属なんぞを摂取して薬としていたらしいが、いまだってプラチナ製剤なんぞをガン治療に使っていて、違いは統計や理屈の違いだけで、昔の人も何かに気がついていただろうことは容易に想像できる。

人の致死率は一生でみれば百パーセントだから、回り回っているうちに終わる。
斯くして医療評価、値問いは難しいという話。

2015年3月12日木曜日

春待ちの街角

寒の戻りはあったが、日内格差も大きいところ。
隙を狙って外回り。

街中は雪もずいぶんと消え、動きはスムース。
特に滞りなく回遊終了。

たまっていた紙情報に目を通すと、大変だという声がほとんど。
まあ皆が皆そうならば、特にこちらがどうこう屋上屋も必要なし。

少し寒気が緩めが喜び、戻ればボヤキ。
それでいいような気がする。

若い人々が欣喜雀躍することもなく、こんな大変な時代に適応していることに敬意を抱く。
まあ恥ずかしくないように工夫してみようかと思う。

2015年3月11日水曜日

寒ブリ

魚の話ではない。

雨が続いて雪が流れて、そろそろ冬も終いかと思ったら、結構降り積もった。
明け方に除雪車の轟音を聴いたが、考えてみれば毎年こんな風ではある。

季節の変化も直線でなく、スパイラル。
裏も表も見せて散る木葉のごとく、くるくると舞いながら化身していく。

キュアとケアと二分律で語る知り合いがいるが、実は本当はケアもキュアもせつ然とはなく、ある程度リカバーしても心身に刻印を残して、トータルでは老いて、最後は電池がきれかけの懐中電灯のように瞬き終わる。

季節は、太陽や惑星の周期で再び冬から春へと回帰するが、ひとの個体は土に戻るだけ。
だからこそ、世代、社会、時代がと続くのだが、今やそういった向日性が見出だしにくい。
たぶん社会情勢がそういった希望的観測を許さないのだろう。

かといって、ペシミスティックに寒い寒いとばかりぼやいていても埒も開かず。
まあ、何はともあれいつものように適宜ビバーク。
だいたい当たるところは当たるが、外れるところは外れる。
棚ぼたはなくとも、果報は寝て待つ。
冬眠いましばしのクマのごとく。

2015年3月10日火曜日

春の嵐

夜半より雨風強し。

これでずいぶん雪も融けようが、昨日小雨に車庫前清掃したのは何のため。
よい運動になったから○。

車は出入りできるようになったが、この悪天候では出がたい。
ロック状態いましばらく。

関西の島で血腥い事件の報。
被害者と被疑者の同姓やら入院歴みると、八つ墓村の係累版か?
内外のニュースのまがまがしさみれば、狂気の蔓延が緩くない。

雨に歌えばを口ずさむ。

2015年3月9日月曜日

どうでもいいことばかり

まあいいかとオミットしていけば、SNSなども種切れ。
それ自体どうでもいいとすれば、どうでもよいことではある。

ただ、その程度に思えることも、生活に、人生に直接間接に重大影響となれば違ってくる。
自分に大きくなければ扱い難く、スルーするほかないこと多し。

そこいら辺りをスッキリと切り分けられればいいのだろうが、そう容易でもない。
複雑に入れ子細工になっていて、最後はネットなどでブッチャけになっている構図も関係しているのだろう。

今朝も、ガサ入れでビルから飛び降りた被疑者のニュースを読むが、命への執着もどうでもいいことに入りつつあるか。
自分も人様もそうならずいぶんと殺伐にはなるというものだ。

2015年3月8日日曜日

知らぬは、、、

なるほどと分かるのが遅い。
これも愚図の一種。

かと言って、さっさと分かってどうにかなることならいいが、どうかんがえてもこうにしかならないという話なら、所詮遅かれ早かれの話で、大同小異。

まあ、知らぬは亭主ばかりなりは、落語によく出てくるが、知っても知らなくてもああにしかならないよなあってことは少なくない。

そうであれば、覚悟の上で甘受するというか、そんなものだと諦観する。

それでもやるべきことはいやほどある。
縁なき衆生と己の雑念をも見切れば、それなりに爽やかではある。

2015年3月7日土曜日

マイペース

マイペースというのが、一応ありそうだ。
しかし、それを測るのは難しい。
実際に、愚図でいらちでそれが同時に出たりするとマイペースどころでない。

自身の事情だけでなく、環境がそうだ。
気温も日内変動が激しく、天候などこっちのことなど知ったことかである。
そうなりゃあペースメイキングなど放擲した方がペースを作りやすいかもしれないといったところだ。

このところそう思うから、ボチボチでも進捗すればよしを目安にしている。
昨日ももう少しかかるかと思っていたらすぐ返ってきたものがあったので、休み中に清書するかなんて、さらに予定どおりの到着だが、使えないからしばらく塩漬け、使えても使えなくてもいいかなと整理ということもあり。

まあ、こういうおとしどころが合ってるかもという意味ではマイペースか。

2015年3月6日金曜日

やってみないとわからない

マシンの具合も使ってみないとわからない。
マシンのせいかと思っていたら、電波状況だったり。
加えてマサカ!というような坂もあり、そうなると歩留まり考えて余裕の必要もわかったりする。

味も、質感も同じ。
そこそこのところを達成するには、試行錯誤、時間が要る。
自己満足のレベルでも、それは同じ。
芸術家が気に入らぬと苦労して完成させた作品をぶち壊すのは、そういうところから来ているのだろう。

ニャンスは少し違うが、養老翁などが変わるのは自分というのも、これにさも似たりやもしれぬ。
自己満足というのは、あくまで自分のなかでの満足ゆえ他人様の賞揚唾棄からはずれる。
自分のインプットアウトプットで自分もメタモルフォシスを経て、他人様の毀誉ホウヘンはさはさりながらこれじゃワイなというのが、それなりの自己満足。

相当の紆余曲折、これじゃあかんとぶち壊すを繰り返し、やっとこまあこんなもんかといったところ。
今日もその繰り返しかな。

2015年3月5日木曜日

探しもーのは何ですか?

昔作ったマニュアル本、探してみたら廃棄してた。
いっとき断捨離凝りで必要最小限と判断した本以外処分したことがある。

パソコンのホルダーも右に同じ。
ワードやPDFで残していたソースもきれいに始末したようだ。

ゴミ屋敷を避け、端正にと思った挙げ句が、一から再スタート。
マニュアルっぽいサイトを見つけDL、printout。

考えてみればアホみたいな話ということだが、まあ生きてる証拠でもある。
先のことは分からない。
要ると思ったものが要らず、要らぬと思ったものが要る。

そのうち何もかにも要らなくなる。
諸行無常。

2015年3月4日水曜日

えっちらおっちら

このところやり残してきた手作業をやり終えるべく挑戦中だが、ここのところぼやいている通り、先様に翻弄されてばかり。

ところが昨日はスムースにポイントを商品に換えることができた。
PCを変えて手続きして認証がスムースに行ったようだ。
コンピューター社会のメリットデメリット。
すっと通ればあら便利。通らなきゃ不便極まりない。
それがハッキングされる話だと、暗転する。
ほんに物事は一筋縄でいかない。

ちょいとある書式を探したが、すでに始末したらしく姿がみえない。
ネットで探すも容易ならず。
やっとこさ動画系で見つける。

まあ、いつもえっちらおっちらやっていかないと浦島太郎になる時代。
面倒だが、ネグってサボってだと、そのつけはよけいに面倒。
ということで、今日はそのサイトのケンケンフクヨウ。

2015年3月3日火曜日

みんな夢の中

承前日。
役所、企業、電話照会してみたら、もう少しわかり易く書いてくれていたら、手間要らずだったねって話。
そのためにあたしらが居るということだから、スーパーのカゴの如く放置して失業率を下げるのに協力するかということになるのかもしれないが、ちょいと工夫すりゃ利用者もこんな手間も要らず、それも税金や利用料で二重取りかと思うとブーイングは出る。

技術革新で質が向上と思いきや、さにあらず劣化顕著ということ多々。
要はいくら技術革新しても、解決せぬことは少なからずあり、その劣化部分が他を押さえる。
リービッヒの最少律のようなもので、足りない隘路でごてる、こける。
あわれな殺され方をした少年も、本当の駆け込み寺があれば惨事を免れたかもしれないが、学校も、母親も、警察も、児相、その他善意の人すらサポートできない。
学校は何十回と母親に電話を入れているが、母親もネグレクト気味なのか、のらりくらりとかわしている、警察も児相も事件の起こる前に駆け込んでも元に戻される可能性が高く、駆け込むモチベーションはわかない。
善意の人も、誘拐、その他犯罪の未遂、虞犯者の如く扱われる危険性の高い時代ゆえ、慎重な人ほど関与しがたい。
そんな中で、反社会的人格障害をうかがわせる加害者がフリーハンドを得て、現実がこう。
いまに始まった話でなく、連合赤軍事件、オウム事件、コンクリート女子高生事件、高学歴のスピンアウターから高校生まで、特にそれまでの異常性格性がうかがわれない人々が凶行に及んでいるのをみれば、必ずしも急にどうこうしだしたということでもないように思える。

昔どうり九官鳥のように口真似を続ける自称文化人も、自称教育労働者も、平和を唱えれば平和だとトートロジーを繰り返すが、敗戦時の教師のように、時代が変われば、自分の口に墨を塗るような悲喜劇を繰り返すのだろうか?

何かあると、ちょいとこうすりゃあうまくいくではないかとは簡単に発想したり、口にすることは容易だが、言うは易く行うは難し。
ちゃんとできない訳がしっかりとある。
みんな夢の中という話。

2015年3月2日月曜日

直接と間接、言わず埋め込み

納税、年金、キャリアの解約。
続けてやってみると、この国の国柄、組まれ方がよくわかる。

決して露骨に直接にいけずをしているわけではない。
さりげなく、小さな字で、間接的に表記したり、あるいは付言しなかったり。

お上に、大企業に都合よく仕組まれている。
決して被害妄想でなく、実際の申請手続き等々は、お上に便利なように、下々が面倒というか、わかりにくくして、利益少なきように作られている。

キャリアのような大企業も、bundleで押し売りした小さなサービスを解約しようとすると、実にしにくい仕組みに構築している。
そこに関連している子会社、関連会社など解約ボタンも設置せず、半分詐偽のようなものだが、月に何百円程度のもので騒ぐ人間も多くはないの算段なんだろう。

保守派は麗しの国と自画自賛するが、こういういぎたなさを長い歴史で培ってきており止まない。
では反体制派のいうように過酷で無茶苦茶かというと、それほどでもなく、ちゃんと面倒な手順を踏めば、結構権利や利益は確保できる。
あいまいの国ではある。

そうなれば、サイレントマジョリティは右も左もろくなもんでないというお約束で、鼓腹撃壌を願うということになる。
情報化社会、国際化、少子高齢化、格差強化その他もろもろで、このような曖昧さはどうなるか?

先の長くない先行世代は消えるわけだが、気持ちのよい時空だったのか、これからどうなるのか、これまたはなはだよくわからないところである。
いずれにせよ、おおきに変わったなりわいであることは間違いなさそうだ。

2015年3月1日日曜日

後悔先にたたず

いま某グループの金銭問題にまつわるスキャンダルについて、それを糺す一方の座談会を聴いている。
首長選に立候補した人間を支持したものの、候補と取り巻きが選挙資金をわたくししたという疑惑を強く指弾している。
いずれ司直の手によって明らかにされてしかるべきレベルの疑惑なので、遠からず真相のかなりの部分は巷にもわかるようになってくるだろう。

それはさておき、政治は結果責任である。
候補の脇の緩さ、ハニー、こそ泥被害その他いろいろ従前から報じられたところ通りのいい加減さがもろに結果として出た。
論難している旧支持グループの総帥も、候補の脇の甘さを見て取れなかった点は、自分は彼のようにいぎたなくないという廉潔性の有無よりも重い。

このような保守派の内紛っぽい話を別として、世はコンプライアンス問題で拘束衣をまとわざるを得ない時代に、寝首のかきあいの様相が強い。
下手にタッグを組むとかくの如く。
だからといって大きなプロジェクトは組まないとならない。
この総帥も後悔めいた言葉が多い。
こんなことになると思っていれば当然タッグなんぞ組まなかっただろう。

しかし、このような事象は今後もいやほど出てくるだろう。
それにしても、酒席、その他の好感度と、本気のところのギャップというのはよくあることだが、実際に耳にしてみると、確かに質感がよく出ているなあと思う次第。

2015年2月28日土曜日

三寒四温

久しぶりの外回りで融雪で水温む道を悪戦苦闘して一回りして、天気予報を聞くとまた大荒れの予報。
三寒四温どころか、ジェットコースターのような循環だ。

陰と陽、静と動、別にチクロイドでなくとも人生は万事流転。
どちらも味わうにしくはなく、それぞれしのぐことができれば後で無駄はないとわかる。
季節は厳冬から春へだが、時代は不穏でせわしない。

課題とすれば、ナンピン。
ならして、裏を読み、表を見せ、最後は大和の国人ゆえ、そこにもののあわれを見いだしつつ散っていくというものか。
少子高齢化でこんな綺麗事を言ってられない現実は続いていくのだろうが。

2015年2月27日金曜日

消耗戦

歳をとると、歯目なんとやらで嫌でも加齢の効果を実感する。
それはある意味で幸せなことで、若いときからハンディがあれば、加齢とは違ったニュアンスで不自由を実感させられる。

生老病死を四苦八苦の四苦というように、生き物の宿命ではある。
生きて老いて衰えて死す。
そういう意味では、消耗戦、敗戦は既に結論としては出ている。

そこで、やはりさはさりながら、蟷螂の斧を手にしてみる。
敗軍の将、兵を語らずというが、老若男女貧富問わずこれは私戦である。
天下国家を大文字で声高にあげつらった強面が、妻に去られて自裁するなどということもある。

私戦ゆえ、どこまで続くぬかるみぞもない。
おわれば終わり。
少子高齢化が進み、空き家が増え、その税金も特例法ができて空地なみに高くかけられるようになった。
資産価値に乏しい負の遺産となれば、相続放棄も増えるだろう。

わがカウントダウンは、かくのごとき風景の素描ということになろうか。

2015年2月26日木曜日

さはさりながら

面倒な事務仕事完了。
大したことなさそうで結構疲れる。
渡世の義理、いや義務ゆえやるほかない。

まあ、何もやることなくて腐っているよりはいい。
どこまで続くぬかるみぞと歌うほどぬかるんでもいない。
面倒、うっとうしいなですむ程度のことはボケ防止に丁度よい。

大抵のことはこういうこと。
他人様もおおむねデューティはこういうことだろうし、ノリノリにやっているようなことも、あたしゃ他人様と違うもんとなれば、どうぞご自由に程度の風景となる。

ということで、そういうことならば、よくも悪くも自己満足でシコシコと続けていく、またいま往っちゃっても後悔なし程度のことを楽しんで、あるいは苦闘していくほかない。
だから、さはさりながらを大事にして、晴耕雨読を続けていくこととする。

2015年2月25日水曜日

聞く耳持たず

SNSなんぞで書き込みを見ていると、、、、。

リアルで知っていた像とはずいぶん違う、あるいは違わないがあそこまでああなのか、なんて発見が多い。

所詮他人様のこと、クレムリノロジストのようにああでもないこうでもないと詮索する気はないが、見かけとはずいぶん違うのは諺どおり。
まあ、初対面で遠慮してたのが、慣れれば崩れるなんて、いま風にいえばツンデレなんて表現もある。

マッチングを考えるには、継時的なウオッチングが大事。
わからぬところはわからぬに。
あわなければ路傍の傍観を貫くも大事。

2015年2月24日火曜日

ビジネスモデル

いろいろと考えてみるが、先が短い、タイトな関係性が軛の時代。
どう自由にいつ以上で終わりとなってもよいモデルを模索するとどうか?

なかなかいいアイデアもない。
もちろん、どんなに盛ったモデルでも時代に合わねば速やかに退場するし、一般的になくなって困るものなどそうない。
俺がいなきゃと妄想幻想しても、四十九日もたたぬうちに忘れられる。

この年末年始いろいろとシミュレーションしてみたが原点回帰。
やはりスタンダローンで気ままにやることに。

この時代、その追究かもしれない。

2015年2月23日月曜日

頭隠して

ファックス売り込みなんぞ見ると、いまの有象無象業者はデータ売買しているのだろうとよくわかる。
blogにこれを書けば、ファックスにあれ。
メールなんかも同じ。
売り込みメールに似た動きがある。
Amazonだなんだが閲覧や購買傾向を見て次を宣伝というのは、自社データということでよくわかるが、いまの時代、内外なしの覚悟は要る。

まあ、自分は頭も尻もclosedと思っている場合でも、色に出にけりなんとやらで、他人様の察し、プロファイリングは岡目八目で鋭い。
もちろん、他人様も各位それぞれのご本人モードがあるので、ご本人に都合の悪い真実は見ぬふり、見落としはあるので、鋭いばかりでもない。

まあ、天知る地知るなんでも知るで、なんでもバレバレをデフォルトに考えておくのがいい。
もちろん、インテリジェンスの問題があるからには、まずい結果を強く危惧するときには、クールに「隠された手紙」の如くリスクマネジメントしなければならない。

テーマは違うが、頭も尻も隠せない自分自身が、困ったちゃんの自分をどうあしらうか、接遇するか。
ここも大きいが、これも至難のわざではある。

2015年2月22日日曜日

コラージュ

右左上下老若男女、できるだけ偏見なく見聞きしようとは思っているが。
知ってみると、当然こちらの評価は出てくる。
いいじゃないかと同時に、噴飯モノも岡目八目で出てくる。
もちろんこちらの勝手なスクリーニングだから、向こう様がそれを知れば、当然なにバカなこといってんのよということになる。

このところ仕事でもプライベートでも、マッチングを中心に考えるようになってきた。
人々の価値観が自由に伸び伸びと多様化?というと画一化も強いが、ロングテイル、内ゲバなどという視点からは、百人百様っぽくなってきている。
そこで高度成長のころのような重厚長大画一的なアプローチを志向すると必ず隘路にぶつかる、少なからず後に揉める。
先日のリクエストにも応需困難とご説明した。

いまなお過去のパラダイムで動いており、未曾有の時代、状況だから、当面すべからく空振り、「ブラック」気味で推移するのだろう。
ビッグデータで「ありていのところ」がわかってもロングテイル、微細に手当てできなければ多数に大雑把に吹聴するパターンは変わらないということになる。

細々は従来のパラダイムでいけば手間ばかりかかる不採算ということになる。
リタイア環境、IT利用等々をうまく組み込めば、ハイコストでなく、適宜のトリアージ、適切な摩擦係数で運べるようには思う。
これから自分の実践で確かめると言うものか。

2015年2月21日土曜日

スピード感

このところ家籠りで昨日は久しぶりの外出。
家の中でこまめに動いていたつもりだが、外で一気に歩くと少々息切れする。
やはり散歩くらいはしたいものだ。

ところで、こうは思いつつ、考えているのはユックリズム。
基本落ち着いてユックリゆったりがいい。
ノロノロ怠惰は失敗、ダメにつながるが、あわてるときほど落ち着いてユックリやるのがいい。

雪上でころぶのは、向こうから避けなければならないものが来てテンパったようなときが多い。
次はノンビリしすぎて雑念だらけのとき。

丁度よいスピード感、タイムキーピングが重要。
そこにsnapで的確な判断できれば強い。
緩急のコントロールと自由度をまず把握して動けるからだ。

もちろん、この総合が至難。
日々の鍛練の要るところ。

2015年2月20日金曜日

むくいる因果

親の因果が子にむくいなんて諺があるが、このところそうだなと思うことしきり。
別に血統論や富貴貧弱の話ではない。
岡目八目で、ああしてればこうなるわなあ、こうなら次はああだろうと見える話。
親があのありようで、子にこのような対し方してれば、すぐに、あるいは積年の繰り返しでこうなるだろうことは多い。
中には反面教師にして、あの親にして、こんな子ができるのだなあなんてこともありだが、そういうことはレアである。

別に親子関係だけでなく、人間関係、環境問題ほとんどがそうである。

もちろん、こうすればこうなることとは知りながら、あえてこうするというようなかつての志士のような選択もあるが、そういう美学もこういうところに育って醸成されたものである。

このところ自分についてはほとんど諦めている。
まあこういうもんだ。
そう外れてない。

人様の場合は、自分に与えるアドバンテージ、贔屓がない分だけ岡目八目分は辛辣になる。
その論理、その選択だと、あんたの言ってるやってる逆になるだろう。
そうすぐ気がつくものだが、このところこちらのほうも諦めている。
他人様も自分と同じく緩いアドバンテージを享受して愚考権を行使しておられるわけで、それを滅茶苦茶に論難しても始まらない。
まあ世間を見渡すと、ちゃんと批判も出てきている。
他山の石程度が丁度いいのだろう。

某右派勢力の内ゲバもウオッチングしてみると、いずれ起こるだろうと思っていたパターンである。
天網カイカイ粗にして漏らさずなんぞというのも同様の意味なんだろう。

2015年2月19日木曜日

馬には乗ってみよ

部屋で寝ているジョーバ風は、インテリアになっているが、たまには乗ってみる。
身体を揺らせたいときには実に重宝で気持ちがよい。
まあいろいろと多目的に使ってよし。

このところSNSやその他のネット情報源についてもそう思っている。
上手に使えば全部で一本というところがある。
それぞれに長所短所があり、リスクも少なくないが、これもトータルで一本。

このところネットに限らず、問題解決志向型で動いているが、結論的にはそれが一番だろう。
あとは試行錯誤しかない。
正解など簡単でないし、もともとないようにも思う。

まずは乗ってみないとはじまらない。
乗ってみて、これは無理だというのも成果。
人生気がついてみると総合学習ということになる。

バカとハサミは

タブレット1の組み込みブラウザがよくへたる。
何か弱い特性があるのだろう。
昔はタブレット2に変えて作業を続けていたが、いまはクロムにシフトしてしばらく休ませれば再起するのがわかって他機を起動する必要がない。

多数を使い分けつつ、一機の強み弱みをじっくりと見ていくと、それぞれの得て不得手もわかり、全体的にパワーアップできる。

バカとハサミは使いようという諺がこういう含意かどうかは知らず。

お偉いさん思想家さんとかいう方が作家のコラムが炎上したのを奇貨として傘にかかるようにはしゃいでいる。
ご一統さんのバカ医者成金もさも似たり。
SNSの左巻きのスレッドではcoprolaliaの糞尿譚風。
こういうのも使い道はないことないと思う。
それを考えるのが社会進化というものだろう。
当面はバカの晒、炙り出しで十分だろう。

養老翁がバカの壁で示したのは己のバカ論である。
自分の壁まで一貫している。
自分にとっても課題は、そこのところである。
これは自分というだけでなく、他人様肉親パートナー富貴貧弱健者病者老若男女皆同じ。

ということで、今日も使い方の研究。
リンカーンと同じ。

2015年2月18日水曜日

デトックス

このところ異種パートナーとの共依存的デレデレを排し、たまには怒鳴ることにしている。
もちろん向こうは言葉の委細は分からぬが、怒りのマグニチュードでどれだけ怒られているかは察する。
それが生きていくために必須な悪さなら隠れてするだけになるが、ちゃんとしたオルタナティブのあることならば直る。

以前は当たるのはよくないと考えてナアナアにしていたが、それがかえってよくない。
こちらは是正されないストレスをため、向こうは怒られているのかどうかよくわからず、結局飼い主の閾値を越えたところで爆弾を落とされる。
それくらいなら、ここがよいと思うところでピシッとしっかりとアピールしておくのがよい。

というところで、このところずいぶんとお互いによくなった。
過度の管理主義でなく、お互いの必須なところ、禁忌、代替法を十分に踏まえてしっかりとやりとりする。
人間関係も同じだろうが、いまは人間関係の方がむつかしい。
自分自身理不尽と思う怒鳴られ方もされてメゲたことも少なくなく、彼らにも理由なく、あるいは冤罪で怒鳴るようなことを避ける必要はある。
けだし同種であれ、異種であれ、信頼感なしに良好なパートナーシップの構築は不可能だからである。

2015年2月17日火曜日

諦め

曽野綾子女史がバッシングを受けている。
亡くなられた池田晶子女史も、他人の闘病記を辛辣に語ってその患者のファンから嵐のようなバッシングを受けた。
まあ、この方々がこう言えば、ああいう奴がウンカの如く涌いて出るのは必定。
ネットのせいでもあるが、日露戦争の頃からある。
政治家は命懸けだった。

今日のテレフォン人生相談はぬるい女性が相談者だった。
浮気3年で本気になり結婚したいという。
親も、ラジオの担当弁護士も「あんたの思うように旦那騙して円満に別れられないだろう」とアドバイスするが、本人にはピント来ていない。
旦那には慰謝料請求され、思春期の子供には唾棄され、相手ともこのような諸々で嫌気がさして別れるのが関の山と岡目八目では見立てられるが、本人だけが分からない、分かれない。

このところ士業の窮状を奇貨として変テコ売り込みの電話ファックスが多い。それ臭いものは速攻着信拒否にするが、冒頭に書いた言論摩擦と同様にストレスフル、面倒である。
そんな時代にテレフォン人生相談のご婦人の如く能天気でいられるのは、ある意味で恵まれているのだろう。
都会の魚は釣れにくいというが、焼き魚にもなっていない。

まあ、どの時代の時代人も老若男女、こんな時代に生まれてきたかったと生まれたわけではない。
生まれたのやら、産み落とされたのやら、主語も文法もあやふやで生きてみたら、いまここである。
諦めろといったところで、諦めきれぬと諦めるのがせいぜい。

ということで、シコシコと神や仏や天が宿っているらしき細部をこなし、付き合い、生き往くほかないのだろう。

時制

先日亡くなった渡辺淳一氏がまだ精励に医学小説を書かれていた頃、自分が主治医だったらしい少女が、亡くなる前日必死で将来治ったらこうなりたいああなりたいと言って逝った話を書いておられた。
ベッドのまだ暖かい凹みの描写もされていて、夭逝した少女の切なさ、もののあわれを感じさせる叙述だったが、このところ日々そう思う。

生きているのは今を限りで明日は知れぬ。
この少女のように明日明後日はないかもしれぬ。
あとになって、あの頃はと追想できるのは実はまずは幸せということである。

過去も同じく。
済んでしまったと思われる過去が浮上して今を蚕食されるのは小説や有名人のスキャンダルだけではない。
親の介護、グレた子供の面倒などもさも似たり。
子供の頃に世話になったから、自分が作った子供だからと言っていられるうちはましで、限度を超えるとなんとかならんか、なんとかなってくれとなる。

こういうことが多発すると、世の常識は変わる。
その転換点に今来ている。
さかしらに古いパラダイムで自分を棚上げして棚上げ音頭を謳っていると痛いシッペ返しが来そうな様相である。

2015年2月16日月曜日

強み弱み

まだ結構降っている。
ピークは越えたと思っても、それからも結構長い。
体調良好でないので、雪はねも最小限にセーブ。
一年前にみまかった近所の婆さんは、圧迫骨折が痛いとボヤキつつ独居で有償ボランティアに頼りつつ最期まで凛々しく雪をかいていた。
やはりアグレッシブな人だっただけに根性が違う。

考えてみれば、こんなに寒く面倒な雪に閉じ込められてよく住んでいられるもんだが、慣れてくると、これがなくなったときの解放感を思うと魅力的なのだ。
マゾというよりは、二本バットから一本に切り替えて球を叩く快感といおうか。

ところで先ほど聞いたテレフォン人生相談。
相談者は63歳の男性で、結婚相談所で紹介を受けた57歳だとかの女性と数度目の結婚。
共に子がおり、四人子供のいる妻の長男が三十代だとかで鬱になりローンパンク。相談者が月八万だとかを払ってやってきたが、このところ妻を見ても拒否反応と相談。
回答者の幼児教育の研究家は、妻への負担感、色気でトラップされているところの自己嫌悪のようなところを指摘していた。
パーソナリティーの加藤諦三氏は大好きな心理分析で、不逞な父親とその苦労に耐えた母への思いから、そのような女性に惹かれて一緒になったものの、女性の手練手管に身動きならなくなった貴方がいるという話。
まさにそうだろう。

他人の話ならよくわかる。
しかし、自分のことはなかなかわからない。ほんのちょい前のお前がそうだったじゃないかと己に問うと、アワワの様相もなくはない。
これがないと人類は滅ぶのかもしれないが、いまやそのリスクが大きいから少子高齢化なんだろう。
またしばらくニアミスの脂汗を自省しなければならない。
天の采配に感謝。
体調不良だって、不幸だって、自分にとどめられるはハッピー。

一粒の砂

確か「真理を見つけるのは砂浜に一粒の砂を見いだすようなもの」といった名言を読んだことがあるように思って調べたが、多分この人の言葉かと思っていたニュートンの名言集にも出てこない。

まあこのような格言があるとして、このところの「真理」は文明の利器、最先端テクノロジーを使って行い、領域の拡大、進化、深化が止まるところを知らない。
そうなると量的にも質的にも追い付けない、専門家と称しても部分化狭細化は必然となり、全体像や哲学など想いをはせている余裕などなくなる。
そうすると一人の人間としては凡庸な判断力のほかよるべないゆえ、本当の専門バカが出来上がることになる。

これは学者研究者専門職に限らず一般人も同じ。
情報は処理できないほど接触するのに吟味する余裕もない。
子供や若者が少子化だからと大事にされるかというと、親や学校や職場、世間に大事に育まれるかというとさにあらず。
さっさと大きくなれ、トラブルがあったらおれたちの責任になるから無難に立ち居振る舞ってくれ、それではぐれたら過酷な処遇をいただく。
ホントにのんびりしない。

こういうことを考えると、冒頭の「真理」を「適切なありよう」で置き換えると、これこそ万分の一、億分の一の歩留まりだろう。
これを思い知ったのも、このところの必需品SNSである。
一定以上のactivityを経験してみると、管理者がどう動くか、人々の裏や表が好事家的興味に関係なく見えてくる。
そうなると過剰な思い入れやインタラクションなど不要、自分とは関係のないところで各位の興味や利害は動いており、どちらかというとこちらはビハインドにして、一粒の砂の探索や研磨に勤しめばいいことがわかってくる。

ということで、このスラプスティックな時代、よくも悪くもこの辺りから出発しないと間違うという気付き。
一回りプラスアルファーでも思い知らされること、日々是再々。

2015年2月15日日曜日

プロファイリング

雪山に閉じ込められていることもあるが、このところの日々の集積というか、つけというか、少々身体を本気で労らないとヤバイという症状も出ているので、セルフケアに努める日々である。

この作業で気がついた。
文明社会での多重人格性である。

医療もお大事に程度の思いやりで医道的ヒューマニズムが発揮できた時代は、素朴な優しさや隣人愛が通用した。
しかし、今や時代はハイスペックで、複雑系の時代。
医師ですらもうヒポクラテスを脱するなどと標榜する。

自分自身そうである。
自分はセルフケアにはこうするが、患者さんに向き合ったときにはとてもそうできない、しないということがずいぶんある。
考えも違う、希望も違う、技術や文明文化への志向が違う相手に、自分にはこれがいいからと処方を提供すれば、ひとつ間違うと大悲劇が生じる。

これはその他の人間関係、立ち居振舞いでも同じようなことがいえる。
自分にはこれがいいからと、他人様に強くアピールすれば、それはずいぶんと外れになることは、このところ多いように感じるようになった。
これは謙抑性の勧めというつもりはない。
むかしも、薄情も情のうちという言葉もある。
その人が嫌えば、いくらそうしたらそうなるよと思っても黙っているしかないことも少なくない。
某有名評論家は、淫祠邪教に走った娘の脱マインドコントロールに必死で頑張ったが、しばらくして亡くなった。
このような命懸けも愛ゆえで、それは否定できず、唾棄すべきでない尊い行為とも思う。
ただ、そういうことのなかなか選びにくい時代に入ったとも思い、それゆえ自分のことは自分で始末をつけるしかない時代かと結論をより強めている。

2015年2月14日土曜日

エイヤー

厳冬の疲れが出たのだろうか?
八時間寝てもまだ眠い。
よくわからないが、なんらかの不調原因があるのだろう。
自分にはわからない、見えない素粒子的なわけもあろうから、それ以上考えてもしようがない。

SNSやblogなんかでもそういうことはある。
この頃姿が見えない。
病気や不調かもしれないが、「友達」なんか瞬時に外せるし、ブロックもできる、「友達」を維持して発受信をカスタマイズできる、ネット管理者の作為もありえる。
そんな可能性を考えたら、「本当の」ところはわからない。

先ほど今までフォローしてきた中位有名人、知る人ぞ知る程度の御仁が、たかがSNS切った切られたでうだうだ言うなと吠えていたが、そのわりには自分がどうこうの場合はどうこうされた、ああでもないこうでもないを連発する。
こういう見苦しいことは止めたいものだ。

そうなれば、淡々と自分の見立てで、既述の可能性踏まえて自分なりの割りきり方、エイヤーをやるほかない。
ということで、今風の天上天下唯我独尊を方針とする。

2015年2月13日金曜日

底と天井、ポートフォリオ

メイン機で使っているのが某外資系社製のネットブックだ。
かつて最低限ネットやワープロに使えればいいと銘打ってリリースされた2、3万の安物である。
今朝もブラウザを実質広げられない。
USBのジャックも壊れてるのか半壊なのか一人前いかない。
なぜそんなものを使うか?

最悪でもないが、やっとこ使える代物。
それで何とか使えれば、底を知ることができる。
最先端の機器でも、壊れれば、壊れかければ一瞬でこれ以下になる。
それを意識するためにも、また他機のメリット、スペックを実感するためにも壊れるまで使おうと思っている。

一番新しいもの、いまのところ庶民には痛いがこの程度がアッパーかというものを使っていると気持ちはいいが、実際に使いやすいのは中ぐらいの品である。
適度に使い込んでいて、なれてもいるがそう陳旧化もしていない、そういう感じのものが一番なじむ。

こうしていろいろと使って訓練、投資、ポートフォリオを試みているが、これも当てにはならない。
災害や戦争などといった大文字の厄災でなくとも、パイプのひとつも破綻すれば、マンションの復旧に己の蓄えでは足りぬほどの事故になり得る。ガスなら死ぬ、いわゆる植物状態になりかねない。
そうなると、中途半端なポートフォリオなんぞ、結婚式の祝辞の「まさか」という坂で瞬時にまっ逆さまにクラッシュする。
そういうリスクの中で、怯えきらず、夢や安らぎ、本気のプロジェクトを持って往くというのが人生の醍醐味というか、諦めどころだろうか?

2015年2月12日木曜日

ネット坂

物わかりの愚図である。
しばらくやってやっとわかる。
まあ、結婚や人生のように半生一生一区切りやってやっとわかりかけるところはおいて、ネットもしばらくやってちょっぴりわかる。
ITには技術革新等が必ず付いてまわるので、それもいたちごっこだ。

かつてネット知己の某氏に発信し過ぎと諌められたこともある。
まだネットがヨチヨチの頃に双方向と標榜しながら、発信してないじゃんと通りすがりのおねえに叱咤されたこともある。

このところ少し精力的にネット発受信をしてみて気付いたというか、定見に落ち着いた。

まず、発受信は時間さえあればいくらでもできる。
ネットでfollowした青年は一日中やっているようなのでblogをみてみると、アフィリエイトで食ってるそうな。
それで食っていけるというのだから、まあ「仕事」だ。
しかし、それもなんだかな、の生業だ。

ネットで精力的に回ってみると、いろいろな類型がみえる。
上記のような例以外では、ニュースfollow大好き型、政治的主張大好き型、人生訓アップ大好き型、商売宣伝型、食べ物写真紹介型、身辺雑記披露型、方々にイイネ付け回り型、エロ掲示注意吸引型、その他もろもろ大体は類型的である。
そういう作業の落ち行く先はマンネリズムである。
だから冒頭に言及したネット知己の諫言とパラレルな結論に落ち着き、類型的なマンネリズムや馴れ合い、その他あまり己が思っても芳しくないなというところに陥る動作はできる限り謙抑的であろうと、ミニマムかつ山椒は小粒で、、、的な活動にしようと決めた。

もちろん、繁忙期であっても要所要所では手入れしようとは思っている。
この時代、先日ちきりん女史のアップしておられたように、ビジネスだってメールなしでは陳腐化する。
だからこそ不要な冗長性をオミットして自家薬籠中のものにしなければいけない。

ということでお付き合いある諸氏、よろしくお願いいたしますという次第である。