2015年1月31日土曜日

身軽快し

時代は変わった。

近代は相克があれば突き合わせ、ズンチャッチャと弁証法的に進めていけというのがパラダイムだった。

いまやそれをやっていると暇がいくらあっても、命がいくつあっても間に合わない時代になった。
特にオウムやイスラム国でなくとも無茶な連中はワールドワイドになっている。
個人でも殺してみたかったなんぞという鬼っ子が珍しくなくなってきた。
ドストエフスキーの小説やカミュの小説の主人公にはいたが、町場ではまずみないというタイプの人格障害度の高いご仁が隣にいても不思議でないといった体感不安が普遍化しつつある。
一種の信用不安の遍在化である。

そんな中でもいまだに一丁噛みを画策する好奇心は失せていない。
地の塩になろうというような殊勝な心掛けは持っていないが、死ぬまではその手のジャンルのありようを掘り下げてみたいという色気は十分にある。

そんな自覚の中で、スパムメールがほとんどのなかで本格的にやり取りすべき歩留まりが、せいぜい百分の一、二というのが助かる。
すべてがガチンコの全力投球となれば、過労死するほかないからだ。

先入観からの脱出

某SNSとの格闘、某SNSでの格闘譚はさんざんごちてきた。
そのあげくシンプルな事実に気がつくに至った。
某SNSはメジャーである。
ゆえに、従来拾ってアップしてきたarticleの9割以上はそのSNSに内部的リンクが設営されている。
ゆえに外部リンクというか、URLのペーストの要などなく、内部リンクをクリックすればよいだけなのだ。
お陰で嫌みたっぷりなcaution表示、実際のアップ妨害も免れた。

いたるところに一つ賢くなるヒントが散らばっている。

2015年1月30日金曜日

自ずと見えてくること

今日は月末の外回りでちょいと動いたが、さっさと済んだので、恒例のネットいじりも夕方で動けている。

そこで見えてくることいろいろ。
いつもあげつらっている某SNSのいけず。
言論統制行動統制的視点から見ていたが、営業政策的視点から合理的にも見える。
ただで外部リンク頻用されるのは迷惑。
実際に右左上下枠内埓外、内部リンクは自由にさせている。
ほまち金で、広告、送りにくく設計してあるメール送付ご随意に。
そういう資本主義的手法貫徹、誘導のための手法かもしれないという風に見えてきた。

こちらもキンキンしない。
幼馴染みや勝手連的コンサルとの交流経験でも、ご本尊の望まぬことは無理筋となる。
その兆候を見とれば、ひとたびニュートラル、いやあえてビハインドにする謙抑性が大事。
乗れない乗らないにはそれなりの理由、合理性がある。

一昔前に現象学なんぞという作法もずいぶん流行ったことがあるが、たち現れる姿にはそれなりの合理性がある。
ヘーゲルの弁証法やなんとかにも三分の理という諺言にもそのような考え方があるようにも思う。

顔に責任を持てるか?あるいは自己認識

久しぶりに鏡を見た。
きっかけは鏡の掃除。
鏡像は、他人様がこちらを見たのとは違う。
数学、物理学、トポロジー、哲学その他に弱いのでそんなものだとしかわからない。
要は右左が人様の我像とは逆である。
それはウインクしてみると検証できる。

わが顔も皆に同じくシンメトリーでない。
左側が潜んでいる。
理由はある。
左の大臼歯がう歯で弱い。
咬合や咀嚼が右より弱い。
したがって左右の発達度合いに差が生じ左が低位である。
肉の誤嚥もここが原因で、虫歯ひとつが命取りとなる。

ところで鏡像以外に己らしき像は見がたい。
したがって筑波のガマほど賢ければ油も流せるが、バカな人間は己を知り得ない。
いまも某SNSから露骨な書き込み妨害が入ったが現況のわがアクティビティは工作員レベルという認定らしい。
本当の工作員は、そう疑われればそういう行為は速攻に控えると思うのだが、システムにビルトインされているらしく、猫じゃらしと戯れるにゃんこの如くこうしている。

われも己が見えてないらしいが、nature call me.それがわが人間的自然なら殉じるほかなさそうである。

2015年1月29日木曜日

万華鏡

お籠り中心の生活にシフトしたからというわけでもないが、ネットの手入れの時間が長くなった。
PCやスマホ、タブレットといろいろと使い回すと、ハードやソフトで見える像がずいぶん違うことに気付く。
さらに、自由な発受信を敢行し続けると、関係先のプロファイリングも実に肉厚になる。

こういう事実を踏まえると、いま自分が見ている姿も実はかなり不自由というか、バイアスのかかったものと推測できる。
色即是空なんてことも、この手の量子力学的知識論と繋がるのかもなんぞと思ったりする。

ということで、わが万華鏡的世界観察もカラフルで楽しい感じとなってきている。

2015年1月28日水曜日

久しぶりに

外回り。
豪雪後の小春日和に足元をすくわれるリスクや家の中、周囲の整備に腐心したいタイミングということもあって穴熊作戦を続けていた。
それでもそろそろ近場の外回りの必要を感じ、小回り君を実行してきた。

世は驚くほどの変化はなし。
しかし、軽くつまんだ寿司屋のシャリの不味く感じたこと。
いつもより威勢のいいリーダーのせいかもしれない。
勢いや口上が逆作用している印象。
淡々と味で勝負しないとこうなる。
帰りは買い物をした荷物が多かったのでタクシーを利用。
細道で消防車の出動でいく手をブロックされる。
迂回方を頼むとササッと回避する。
上手い。
こういうことの多い土地ゆえ運転手のこのようなスキルも凄い。
ここに気持ちを居座らせたからは見習いたいところである。

ということで、出ればそれなりに学ぶところも少なくない。
内もよし、外もよし。
わが節分の方針である。

雨々ふれふれ~♪

どか雪から小春日和に移行してついに雨が降った。
これも国際化の結果であろう。

世界的不況などと言われながら、世界的に技術革新にご相伴。
アフリカのネイティブバイヤーもスマホ片手にビジネスマン。

要は世界的に先端機器を利用しての大商い。
当然のこととして、エネルギーはどんどんと使われ、エントロピーは増大する。
エボラのような風土病が、ボーダレスの国際疾患に転じる。

異常気象という言葉も死語となり、想定外の気象は日常的になってきている。
雨の後はまた寒気が襲うのだろう。
夜郎自大のテロ集団に人質にならなくても、結構危ない環境にトラップされてはいる。

2015年1月26日月曜日

雪に沈潜

雪に幽閉されていることもあるが、己の姿を筑波のガマの如く眺め油を絞り出すのが修行によかろうとあえて選んでいる。

発酵食物でも、酒類でも、寝かせておく時間、熟成のための待ちが重要である。

そのなかで採るべき最善手が浮き上がってくる。
ある意味でこの閉じ込められ感、被閉塞状況が快く思われる。

立ち止まり立ち止まり

いつもぼやいている某SNSの手入れも終わりこちらにシフト。

手を縛られた立ち居振舞いを己のblogで、知っていただいておいた方がよい皆さんに真意を伝えるための書き込みというのが当初の趣旨であったが、このところ自分の気付きノートのような流れにもなっている。

SNSが不自由といえど、逆に自由闊達にやり過ぎているがゆえの被介入であるから、それなりの発受信が確保できている範囲では、それなりに果実の得られる豊潤モードではある。
あの方にそんな趣味がとか、一見こうだが実はああ、などといった案外の知見が得られること再々。
それを立ち止まり立ち止まり己の立ち居振舞い、認識修正に使えるとなれば、ただでは転んでいない。
偉大なる果実をいただいているという話である。

2015年1月25日日曜日

時がわたしを追い越していく~♪

追い越されているかに感じてもこのところ焦らない。
それがちょうどいいと思う時の流れに感じられるから、ストレスフリー。
日々確認するところであるが、人すべからく1日24時間差別なし。

もちろん科される必要で自由度も異なれば、もともと抱える抱えないでこれも実は千差万別。

わが固有の時、世の流れのとき、二人称の時々、いろいろと射程に入れつつ時の流れに身を任せ~♪

生きててよかった

掃除どきが満ちてトイレ掃除。
20余年30年弱の汚れを一時間弱で清掃する。
こんな状態で生きてきたのだ。
生きててよかった。

すでに家庭解散式を終えてのひとり家守りだからあえて誰にどうこういう筋でもないが、わが家は同じ屋根の下に暮らしていたときも、このような清浄さをネグる共同幻想性のもとで共同生活を送ってきたのだ。

おぞましいとも思わず、この作業を終えるまで生きてこられたことの幸運を寿ぐ。
まだ二階のトイレ、ワンコらの敷物、その他かくのごときスポットまま残っているが、ひとつひとつじっくりと見つめながら対処していこう。

不自由の味わい

某有名SNSの不自由が続いている。
中国などの独裁国家で情報流通を抑圧していることは公知の事実だが、自由と民主主義を掲げるお国の代表的SNSがかくのごとくということで、GHQ占領下の焚書抗儒を連想する。
かの国も、決してデフォルトで自由でも民主でもないことがよくわかる。

それでも知己のarticleをROMする機会を得るだけでも嬉しいことではある。
時にシェアを試みたが、公開範囲でご迷惑をかけかねず、それも政治家のようにフルオープンにしていたり、そうでなくとも論旨、マインドからシェアしてよかろうという思うところ以外はシェアもできない。
シェアしても、シェアした当人の己が書き込みをさせられないのも業腹である。

てなてなことをゴチつつも、めげずに初受信する。

イエーリングが言った権利のための闘争の第一歩ではある。

2015年1月24日土曜日

神仏、天はわが細部に登場す

断捨離などというが容易ではない。
日頃の掃除、調理、歩行のような基本的立ち居振舞い。
どうしても惰性に流れ、基本的水準も満たすことのできないことままあり。

特に独り暮らしなどしていれば、これでもいいかということになりやすい。
ペットなど飼っていれば、どうせまめにやってもすぐに元の木阿弥といった意識も加わる。

しかし、掃除洗濯調理、一日一日のスケジューリング、タイムキーピング、そこに細部殿が宿る。

やっとこさ気付き実践に移行しなくてはというフェーズに入った。
ありがたいことである。

ロックドインに考える

雪に幽閉されている。
ちょうど籠るによいフェイズと心得ているので結構毛だらけ。

なんでこんな不自由な場所に好き好んで居着いているのか。
自分でもよくわかっていない。

ただ、この苦界ともいえる環境を決して嫌がっていないことは間違いない。
本気でいやならとうに逃散してこの地にはいないだろう。

重い雪、吹雪、底冷え、その他もろもろをぼやきつつ、それがなくなる瞬間を心待にして生きる。
これがまた北の大地の醍醐味。

もう今後よその人がたには宣伝することなくポーカーフェイスで暮らすことにする。

時の熟れるのを待つ

その時その時やるべきことやるべきでないことが開示される。

これを取り違えると大変なことになる。

やはり一番は「なぜか、なぜならば」という自問自答が大事である。
もちろん、己が理屈に溺れ、故事来歴に流されて、情緒的な竿差しでより大きく流されるという可能性も読み込めないと致命的な失着を完遂してしまうことになる。

だからこそ、動静、アップアンドダウン、あるいは自分の能力では計り知れない超次元の存在にも敬虔である必要がある。

2015年1月23日金曜日

板子一枚

下は地獄か、天国か。

実際に成功と我々が考えるところと、失敗と考えるところとは僅差である。

認識主体である我々自身が浮動的であれば、成功と失敗の判断すら非常に危ういものである。

お釈迦様が天上天下唯我独尊といい放たれたのも、漱石が則天去私、鴎外が「かのごとく」の哲学にたどりついたのも、このようなあわいを知ったからだろう。
現代風にいえば、量子力学的、相対性理論的認識論といえばよいのだろうか。

気がつけば、そのまま淡々と進む。
それが筋ということだろう。

不自由を寿ぐ

某有名SNSのマヌーバビリティ制約を逃れるべく、愛作先生の書き込みを自分のTLにシェアで転記したが、わが書き込みを許さぬのは愛作先生の元記事と同じ。

おかげでずいぶんと鍛えられる。
ああ算段してこう画策してでリテラシーがあがる。
向こう様だって、システムで拘束衣をかぶせてきているので、こちらも単に被害妄想を肥大化させることもない。

今日は煮込みを焦がして、酸化の害毒性もしっかり体感しえた。
わんこらは安眠していたから、この辺りは未来志向で生きている人間の強みか。
自分に与えられた生物特性を吟味しながら、不自由を寿ぐ。

自由ということ

己に則るということで自由。
自由になろうと思えば、命も金もささやかな名誉も失いかねない。


某著名SNSには、拘束衣のような負荷制約をかけられつつ情報発受信を続けている。
まあ二本バットを振っているようなものだ。

西郷隆盛や毛沢東が見抜いたような、命も金も名誉も要らぬといった高尚な者ではない。
ただ丸見えの情報社会では、逆にちゃんと一丁噛みして日々ランニングしていた方がまだましだという情勢判断をしているに過ぎない。

ということで自由なランダムウオークが続いていく。

2015年1月22日木曜日

立って半畳寝て一畳

Jrが布団をボロボロに甘噛みしたこともあるが、寝る哲学が変わったこともある。

丸洗いできるセットという惹句にひかれて布団セットを注文した。

割と寝る哲学、就寝環境の科学的知見に乏しい。
よって自分でパイオニア、ラッセルするほかない。
昨日までホームレス哲学で、外に近い環境で内でも寝られるのをよしとしていた。
いまや文明によることをしっかり意識して内なる良環境を確保するのをよしとする立場に転じた。
野坂昭如や大島渚がいつも口にした絶対的窮乏化などは永遠に戻りようもない強いられた管理社会のもと生きるほかないと気づいたからだ。
もちろん、天候によっては近所から自宅に帰るのに、八甲田山死の彷徨を強いられる自然環境と自覚していれば、人工環境と純自然環境の分別は常に行うことはできる。

ということで、わんこの敷物マットの次は寝具と、次々と足元の生活環境も変わる。
まさに変わり目の季節。

疲れのディスチャージ

爆睡が続く。
疲れがたまって、まとめてデトックス、ディスチャージするフェーズに入った模様。

年末から年始、そしていままでよく動きまわったものだ。
それほど潤沢でない老後資金から設備投資、生活改変のために結構な大盤振る舞いをして、自分に自由活動環境の提供を図ってやった。

今回は自分の動きの根拠あるいは不透明度も把握しやすく今までの人生で最も動きやすく動いている自覚がある。
実にありがたいことだ。

オプションの選択も他人の嗜好やマッチングを考慮してアレンジするゆえやり易くなった。
シンプルな基本に気付くことでこれだけスムースになるなどほんの少し前まで気付きもしなかった。

ゴンドラの唄~♪

命短し恋せよ乙女。

二度あることは三度ある。
すでに二度の死のニアミス体験は経験した。
三度目の正直までせいぜい10年と見て、一月にガチンコのコンサル一回で年12回。
10年で120回、歩留まり5分ないしせいぜい1割と見て、成功は数件ないし10件足らず。
自分にできるかもしれない作業の総量も微々たるものであろうことは今から十分に予見可能である。

それでも気持ちよく生きて往くにはこの程度の精進を完遂しなければ往生できないということだ。
粛々と日々に精進すべし。

エスニック

久しぶりにタイカレーを食した。
クレジットを見ると、現地直製であり、たまに刺激が強すぎて汗をかきながらぶっ倒れることもある。

しかし、慣れるとそれが当たり前になる。
いまや特別の刺激はなにもない。

国際化や日本特殊論は、常にわれら日本が背負ってきたところであるが、それで解決がつくかというとつかず、最後の最後までアポリアが残りそう。

いまや違和感を違和する余裕もなく、立場は何でもあり。
別に教条的に何を受け入れて何を拒絶するわけでもない。

八百万の神とも距離をうまく保ちわが道をいくほかない。

2015年1月21日水曜日

どこにもない世界

当地の地域医療でご苦労されている中間管理職的実務家の先生とやりとり。
大変さがよくわかる。
軽く綺麗事を並べて現実の難しさが打開できるのなら苦労はない。
わかっちゃいるけど楽じゃないのが現実。

これからじっくりとやり取りして一丁噛み勝手連的知恵貸し作業を続ける心づもり。

休みのない実に面白い展開となっていることに自己満足ができている。

なんと幸せなことか。

固有の時間

交渉事に従事しようとすると、相手に固有の時間があることを痛感する。
結論的に言うと、簡単に相手を変えられるわけはない。
もちろん、こちらの作法も容易に変わりはしない。
存在というのは色濃く歴史的であり、養老翁が希望とは己が変わることだというのは正しい。
せいぜい己が己の存在被拘束性に気付いて従来の作法の法を超えることが期待できるにすぎない。

ワンコらにも固有の時間がある。
犬種として育ってきた歴史性、故事来歴、雌雄、その他もろもろ、こいつらの行動パターン、作法はこうなのだと、四六時中一緒にいるとわかってくる。

このような固有の時間を生きているのが今日である。

思えば遠くへ来たもんだ♪

津軽海峡が立ちはだかっている。

我が身の一部になっている犬嫁娘と犬息子がとりわけ海を渡り難い犬種なもので、この地に根差して動くことの拘泥感が強い。
それがある意味でありがたく自己変革の二本バットになってくれている。

評論家兼コンサルタント標榜を年末にオープンにしてから、すっかりライフスタイルが変わった。
足場にしていた老舗から離れ、言いたいこと言うべきことを明確化自覚化して動くことができている。

身の引き締まる思いというか、これが当たり前だったんだと思うことしきり。

2015年1月20日火曜日

これでいい

某SNSは、意地悪しながらアクティブにさせるようなアンビバレンシーを強いるばかりだが、現勢で一番の場ゆえ合わせている。

幼馴染や元嫁は、ほんにわがままと思えど、それらに惹かれてここまできたので続けている。
しばらくの恋人やたった二、三日の恋人も、ずいぶんわが人生に影響を与えたが、裏を返す余裕はなく思い出に佇むばかり。

ストップした勝手連コンサルや近場接遇はサスペンドすれど、本気で健康闘病を自らのモチーフにするやどうや分からずの知己編集者社長には、いろいろと思いめぐらせながらやりとりしている。

わんこらも誠実にわが蠢動に付き合ってくれている。
人間とは違ってシュールな面も多々ながら、それが好きで犬持を号にしている面もあり。

このまま進んでいこう。

事理の当然

SNSの奸計に翻弄されてぼやいてばかりは情けない。

過度の依存を慎み進むにしかず。

平等

このところ時の流れがはやい。

しかし、忙しがってはいられない。
医療界の某巨人は「命だけは平等だ」とスローガンしたが、命は決して平等ではない。
美人薄命で、雅子嬢も美奈子嬢も若くして逝った。

生を、時を、機会利益と考えれば、可能性として向かい合うときに平等にチャレンジするのが合理的というだけで、結果の保証などどこにもない。

天才だ、トップランナーだといわれる人でも、自分のような愚図でも、与えられる一日は24時間。
一年は365日。
この辺りが気持ちいい。

自分の関わるべき時空、腐心すべき諸々を無限の可能性からカットしてトリミングする。
無限という言葉も遊びにすぎず、実際は人は遺伝子や歴史その他もろもろの制約性のなかでしかあがくこともできない。

したがって、ワープした結論だが、平等で面白い。
今日もその面白さを享受させていただこう。

うまくは作ってある

一応自由に書き込みはさせるが、しっかりいけずしたり、邪魔するSNS。

まあ基本的にエシュロンの枝のようなところなので、左や右と旗色をしっかり出して動いてくれるとプロファイリングしやすいということでウハウハのよう。
それを微妙にプロファイリングを避けて自由に情報収集発受信されると迷惑千万ということで重点監視対象となり、窮屈千万。

今日は地元で一丁噛みをやめたもので、時間的にも心理的にも実に楽チンである。
ただ、クライアントらには絶対に放置プレイにとアドバイスするスパム詐欺メールなども、自分にまで来ると、弁護士まで舐めてからにと、かなりムカついたりはしている。

そんな人間のできてないことではいかん遺憾と反省することしきり。

今日も昨日と同じく淡々と動くことになるだろう。

2015年1月19日月曜日

当面のスポットを

都心にすると決めたお陰で、ご近所でああしてこうしてと腐心する負担がなくなった。

勝手連コンサルも即打ちきり、リゾートホテルの拠点化も即なしとなった。
特に出禁になったわけではないが、その雰囲気、臭いを嗅いだときは、特に素早く撤退しなければならない。
互恵しえる関係、前提があってこそのコンサルティングで、それがなければ禁忌を踏んでいる状態と言わなくてはならない。

都心の各施設の情報は芋づる式にピックアップできなかったので、各個撃破で調べていくことにした。

インフルエンザも流行り、エボラも油断できない状況で、自宅のワンコ環境もリフォーム中ゆえ、当面自宅に籠って画策することとする。
風呂からオーディオビデオが見えるように、年末に自分にご褒美してやったタフブック風を設置した。
これで浴槽からyoutube等でライブなコンテンツを楽しむ浴槽シアター風の環境が整った。
知恵はただゆえ使わねば損である。

いまを分析する

地場で色々と検討した結果、近所で人を迎えたりする企画は無理とわかった。

よって接遇などは街場、つまりは駅前から地下道でつながる南北ということになろう。

ところがこの出張りがニセコあたりまで伸長させると、これまた外国人ばかりの風景になる。
ニセコなどは中国人やオーストラリア人ばかりの租界化しているらしい。

要はこの問題は、まるで円環構造をとっているがごとくである。

ここいら前提で見通しつけるというものだろう。

朝の気付き

街中の様子を調べようと思いつつ、風呂中でドロージーを続けて、いま。

コンビニで水物を調達する必要もあり、ごみすて、買い出しツアーに出かける前。

「ホテル 札幌 ブログ」で検索すれば、現況のレポートがいやほど収集できるだろう。

まだまだ年金や身の回りの整理に話が行かない。

まあ、それなりに忙しがれる余裕と善解すれば嬉しいことではある。

僕は呼び掛けはしない~♪

懸案事も次々とおとしどころに定着していく。

そんな季節なんだろう。

他人任せのLet it be.ではないが、やるべきことをやっているうちに収まるべきところに収まって来ているからありがたい。

このときからもベストエフォートを続け、自分が人様がワンコらが最適解となしていそうなところにアンカリングするつもり。

と個別連絡をとっている皆様方、よろしくお願いいたします

2015年1月18日日曜日

嵐のあとの灰汁抜け

近隣に固着しなくなってのんびりとした日曜日を過ごしている。

コンサルやサービスは、クライアントやクライアント予備軍が望むからこそ提供するもので、相手に御免蒙るという部分を見出した場合は、君子豹変であえて手のひらを返さなければならない。

このアーティクルを書き終えたら、近場の整理に腐心しようか、それとも街場、都心に出てみようか少し迷っている。
まあ途方もない大雪だったから、庭の掃除からはじめようか。

いずれにせよ、変な執着が飛んでいってくれたので、心が波立たない、けばだたない。

実にうれしいことではある。

ホワイトアウト

まあ凄い雪の嵐。

八甲田山死の彷徨を思い出してしまうような悪魔の時空。

なんとか家までたどり着いて暖を取った。

勝手連コンサルも、近所の格安リゾートホテル利用も断念。
別に豪雪体験を天の采配とみて呪い判断に委ねるわけではないが、両者とも甲斐性、マッチングを考えれば、ちょいと無理筋。

今後は、天候、距離、コスパ等々を勘案の上、すすきの、大通、駅前辺りまで出張るか、それ以上の関係なら自宅に招待するほかないだろう。

いろいろとベストエフォートしているうちに、まあこれがよかろうという線に落ち着く。
十分なリサーチ手順を踏んだ上だから後悔もない。

着々と無明の中の匍匐前進が進んでいく。

2015年1月17日土曜日

朝一コンサル

喋り放題のスマホを使っての朝一コンサル、何とか趣旨は伝わったよう。

あとは大過なく実践すれば、無事難点はクリアできるだろう。

地元勝手連コンサルも、外国人のぶしつけな行為パターンにうまく対処できればオケーなのだが。

山あり谷あり

コンサルティングのなかでも、そんなことまで仕掛けて来るんだなという体験をしている。

まさに日本の法状況も超限戦の時代に入って来た印象。

とことんやるしかない。

近所の勝手連コンサルも難問続き。

醍醐味と思える幸せ。

2015年1月16日金曜日

最後はマンツーマン

仕上げに各人と説遇となる。

最後は本当にサシでの世界。

一々結論付けていくほかないのだろう。

しばらくパソコンからはなれ

人と語る。

よし。

評論家、コンサルの目

どのジャンルであれ、最後は日本文化の問題が出てくる。

面白いといえば面白い、難しいといえば難しい。

ここが肝なんだろうな。

出物腫れ物ところきらわず

勝手にコンサル。
そろそろ引くべきフェーズか?

必発の悋気によるトラブルが見えてきた。
介入の要のない部分からは撤退するのが大事。

実存実践が突出するのが大変で面白いところ。

selfブレインストーミングを終え

今日も1日街を歩き回った。

色々なことを知り、総合学習の楽しみを享受した。

しばらくこの味にしびれ続けるのだろう。

恒例のselfブレインストーミングを終え

本音総轄。

その場その場でプライオリティの判断をきっちり行い敢然と進む。

あせるわけでも、右顧左べんを繰り返すわけでもない。
そうしているうちにベストチョイスが浮上する。

2015年1月15日木曜日

またたくまにお昼近くが

いじめられつつ承知で投稿していま。

CIA、エシュロンとして情報操作頻繁と言われる草刈場、なんだかんだ泳がせながら利用するのがうまい。

てな悪口いいながらこちらこそ利用させてただいている。

狐狸で生きていくほかない時代。

朝のまどべに届けてみたい~♪

いつものSNSにフェイントかけて、かけられての書き込み作業が一区切り。

ワンコの敷物がやって来るのに数日かかりそうで、あと何日か勝手連コンサルを継続予定。
さて、どこまでどう行けるか?

ほんに楽しみ。

みそこのうてもらうまいぞ

ひとについてまわるもの。
プライド。

なめんなよ。
そのような矜恃、敵愾心があればこそ進めるというところもある。

ただ、それが足をすくう。
そこで足をすくわれる。
これまた多い。

このところ素直になぜか?なぜならばを追うことに徹している。
勝ち負け、プライド、勝算なんぞより、どうベストエフォートを組めるかが肝だ。

2015年1月14日水曜日

やはり~♪

結論は予想どおり。

各自が部屋をとって、みんなで遊ぶのがよいみたい。

災害時もてんでばらばら。
お楽しみもてんでばらばらをベースに
離合集散。

それを基本にやるべきらしい。

思えばここまで来たもんだ~♪

ホテルのsettingもわかった。

やはり時代は無難を要求する。

自分も其がいい。

初発は誰になるか?

ロシアンルーレットだな。

朝早く駆ける

Amazonにワンコのマット到着。

車を駆けて受領。

今日で還境は一応完成。
あとは、ホテルのカード利用のシステムに通暁の要あり。

実践まであと一歩。

犬持殿

猫持という歌人が知己だ。

歌心に乏しいが、古い歌で感情失禁する位の情はあるから、犬持を名乗っている。

今日はワンコ用のマットがくる。
うんち処理がずいぶん文明化する予定。
天の采配で流れは進む。

2015年1月13日火曜日

OJT

北の地に車は利便性から必須に近いが、依存は好まない。

バスに乗り、徒歩で用を済ます。

行動の設計に興味が移りつつある。

わんこのトイレット部屋の洗練化が今日明日の日程に入ってきた。

なんと幸せなことか。

友達千人できるかな?

別に拡大主義はないようだ。

やって行くうちに自分の志向が見えてくる。

利便性や効率は求めるが、かといって至上主義ではない。

某SNSの理不尽には負けないようだ。

則天去私は漱石の専売特許ではない。

2015年1月12日月曜日

またたくまに

宴はすぎ、自分は楽屋で寝てる。

体質ぴったり。

これからもこんな感じで生きて行くんだろう。

あっというまに

お昼すぎ。

すべてのセットが整い、あとは加わるのみ。

迎えのクルマより、武蔵の奇襲をこのむなまぐささ。

いずれにせよ、いざ出陣。

朝から大雪かき

元旦にJAFの健在を確認して以来、車はロックドインさせてきたが、そろそろ動こうと除雪した。

はたして動けるかどうかは、動かしてみなければ、わからぬが心のエンジンにはすでに始動はかかっている。
街を駈けるなどという大層なものではない。
くるまでアシストしてやらぬと心身がつらいと軋轢音を出すもので、レフリーな自分がさはいしてやるだけのこと。

某ご都合主義のSNSには、手足をフリーズさせるようなイケズ対処をされているが、そんなことでめげては男の子はやってられない。

ますます臍下丹田に力を込めて、如意棒でなく胆力を発揮したいものだ。

勝手連コンサルも佳境に

あるものを理解するには、対比が必須だ。

主観的な思い入れならどうなと思い入れられるが、客観性、間主観性を担保しようとするならば、あれとこれ、これとそれを比較しなければならない。

ということで、勝手連コンサル先のライバルを訪問。
大手ゆえHPでほぼ把握可能。
実際に赴き、パンフも入手。
売店でバッグも購入し、これら資料を持ち帰る。

結局、会員制の登録をすることがベストと読み、自分の接待所とすることを決断。
そろそろ煮詰まりポイントに到達していることを自覚。

今日のレベルでこれを終えると、後はのんびりノビノビ利用していけば、ソフィストケーションできそう。

後は年金生活の手続きと北海道おこもり路線、ネットによるカンファレンス等の整備を進めていけば、当面のオプティマル路線が確保できるだろう。

神霊スポット熊野には惹かれるが、まあ同じく惹かれるという当地首長もおり、彼のリタイアやサバティカルのときにでもシンクロしてみるか?
もちろん、内地のクライアントからのレスキュー要請があれば、物見遊山でなく海峡を越えねばならないが。

あくまでも未来は無明、不明ではある。

2015年1月11日日曜日

いまを生きる

陸の孤島となった地方とは思えないような日差し。

これだけで十分。

無用の用は肯定派だが、ほんにおかしいと感じることども列記。

社会勉強の為とまったく飛びつかずに置いてある見合い、婚活サイト。
掲げられるのは、収入、女性の顔写真、紹介毎の経費。
後妻業の巣となって、練炭ヒ素青酸カリ事件等々のインキュベーターになるのがよくわかる。

幼馴染、知り合った若者たち、勝手連でコンサル中のバーチャルクライアント。
世間は自分が思っているほどにセンシティブでもなく、のんびりと推移しているよう。

わんこの下の世話の技術革新に腐心中。
人間の思い込みより、犬嫁兼娘、犬息子の世話が楽しゅうてならぬ。
知性と名付けられていただいた思考力なんぞの陳腐さよ。

しかし、人として生まれた以上、人として生きるほかなし。
獣と人間を超克した時空にあこがれを置く。
今日も元気だ、淡々と進む。

2015年1月10日土曜日

直記

勝手連コンサルから帰還後すぐ寝落ち爆睡。
目覚めの直記。

SNSに書き込むも、これだけ大勢相手なら自分の書き込み維持するのが精一杯。
特に細かく他人に構うと、管理システムのコーションが発動。
そんな検閲ライクに呼応している暇なし。

幼なじみ危うしと思えど、朋輩に構われもせず、単に放置プレイのよう。
心配しすぎて損した。

飲みの現場に登場の女子大生。
思えば孫ちゃん世代差。
思えばここまで爺になったのか。
自らに唖然。

あと数日勝手連コンサルしたら、わが人生の曲がり角にいた現場来訪予定。
これで自分の応接室設定は、ほぼ完成となるだろう。
その後は、年金事務にかまけたり、受診や車の世話もせにゃあならぬ。

ほんに忙しいのか、のんびりしているのか、不分明な日々。
こうして書き記すことのできる余裕を、寿ぐ。

北国の本音

SNSが自己都合の利用者利用するなら結構毛だらけ。

独立自尊をゆくのみ。

皆さん、ここで本音を開陳します。

皆さんよろしゅうに。

やんぬるかな

某SNSで、活動が激しすぎるとシステム抑制を受けた。

商売でハブにしていれば困った困ったというところだろうが、自分にとっては所詮コミュニケーション、自己表現のひとつのよすがにすぎない。

ということで、肝の人士には、この場に一日一度来訪くださるよう直接メッセージすることで始末とした。

フィクサーとして、表現者、出版者として本気でやる気があるかと問いつつあるケース。
嫁に来る必要はないが、新天地、新境地は要らぬかと関わっているケース。
将来こちらがツアームービー的に動いてみようかと画策している相手先。

前途遼遠ではあるものの、いまをライブに動いている次第。
思い当たる諸氏は、しっかりと一日一チェック欠かさずされたし。

しまい湯、、、ばばんばばんばんばん~♪

勝手連的コンサル先で夕食終え、カラオケにシフトするもスタッフてんてこまい
このところ構っているお嬢もオフのようで、さっさと帰る。

なぜコンサルか。
自分の応接室化しているゆえ。
利便性も上げたい。

ところで自分の人生の死命を握ったホテルのリサーチも控えている。
応接室のライバルどころで、すでに勝手連先を凌駕していると読んでいる。
自分の場合はこの二者がわが活動のフィールドになっている。
バーチャルコンサルは、客として出入りしてそろそろおとしどころが見えてきている。

振っている先もわんさというほどではないが、貧乏暇なし程度にはある。
一つ一つオプティマルを考えつつ、インテグレーションを模索する。
誰がやるにしても王道。

自分に常に王様の耳はロバの耳~♪は忘れない。
こういう日々の推移ははやい。
右顧左べんの余裕はない。

2015年1月9日金曜日

きたの国から~♪

内地と途絶して、、、、。

ふと、ぼくは呼びかけはしない~♪と小椋圭の歌が浮かんできた。
自分がめんこいと思うと深入り、深いじりして不幸にする癖がある。
やはり、呼びかけずにニヒルに生きていくのが大事というか、そうしないと不味い気がしてきた。

別に、もういつジエンドでいいと思っているが、やはりこのフェーズに入れば、残心や負け型勝ち型、自分がこの世から外れた時のイメージングが大事なように思えてきた。

ということで、君子豹変。
あっさりスッキリ淡々と作業を進めますので、皆様よろしく。

雪々よ~♪

雪に閉ざされた。

気持ちいいほど孤立したから、やけくそで街を歩いてみた。

まあいろいろとトラブルもみえる。
除雪で、相隣関係で、民官街が揺れていたり。

雪のおかげで、欧米かが進まずホッとしている部分もある・・・・。
が、アマゾンなんぞは、すでにTPPの前に、ぼくらでさえ欧米かって感覚にしてくれている。

消費者、生産者、生活者、旅人・・・・さまざまな思い、故事来歴をネタくりしながら、年末から標榜した評論家の目で、アプリシエイトしながら、コンサルやフィクサーっぽい動きで結構忙しい時間をすごしている。

やっとライブに動いて居るぞという感じ。
海峡の、愛の不自由さも、堪能対象。

せっかく得た命、燃やさせていただきます。

2015年1月8日木曜日

北帰行~♪

しばらくまえ除雪車の動きが賑やかだった。

空港は着陸不能。
電車はストップ。
内地との行き来は、ほぼシャッタアウト。
それでも一応200万都市。
さほど怖くはない。

これが道東道北だと緩くない。
自宅前吹雪、ホワイトアウトで、父が娘を抱いて絶命した。

法律師匠が、このクソ寒いのにとお誘いリジェクト。
幼馴染みに粉かけたものの、考えてみれば二十余年で身についてしまったヒグマ大好き根性ゆえ、もしかしたら過酷な命定めに誘惑しているのかもとの自己疑念も出てきた。
ちょっと咆えるのを休もうかと思ったり。

仕事は評論家標榜を明確にして、発信フィクサー、コンサル作業に焦点をしぼっているので、投資的、下ごしらえ作業に貧乏暇なし。

ということで、しばらくインナーにAVワールドを楽しもうか。

2015年1月7日水曜日

もういくつ寝るとお正月~♪

あと300余日か。

人生って瞬く間ね。
もうゆっくりできないのに、わが縁深い元嫁や幼なじみ面倒臭い。

間違いないのはワシがそういうのが好きいうことなんやろな。向田邦子の男同士が微妙な緊張関係を紡いでいく小説。
その主人公のひとりである小樽先生の奥様、従来エンヨウハクと呼んできたY子さん。
上記メンタルらと同じBやと。
小樽大先生にはもったいないが、「あーらわが君、あーらわが君」とまるでAのお嬢様のごとく。
まあ大先生とは、向田邦子女史が描いた世界を享有するところまで持っていくぞ。

ところで愛作先生を紹介した次男は、バカタレのままで失礼のままのよう。
愛作先生も当地滞留三時間でないと、ヒポクラテスたち供覧、旅の夜風デュエットができぬ。
一泊いただければ余るほど遊べるのだが。

とにかくフリーエージェントのコンサルタント系評論家ゆえ、自由にフィクサー稼業に邁進したい。
今年はその第一歩の年だ。

2015年1月6日火曜日

生誕記念のあと

疲れた。
誕生日だけでなく、年末に大先生らの接待準備にフリークになり、接待所の勝手連的コンサルから誕生祝い対応で、ついに疲れた象モードにおちる。

元気ゆえ荷卸鬱的にはならないが、アパシーアノミーパターンにはなる。
でも、祝われるほうは一人ゆえ、自分に拘泥する天上天下唯我独尊的にならざるを得ない。
「友達」にも同日誕生日がいれば、そちらも気がけるのも必要だが、祝われ返礼する点で、やはり自分という立場に腐心するほかない。

接待準備、コンサルからずいぶんリテラシーあがった。
自分モードの宴会、接待を少し続けてみる方針ゆえ、実にリテラシーを向上させえた。
後進に相談乗るモードも開発中ゆえ、それにも寄与大。

元嫁や幼馴染みのコンチクショーモードに、逆にためされる大地ならぬ、試される自分を認識。
わんこ第一ゆえ、別にケンモホロロでも、はに虎でも、何でもこいではある。

昨日は日替わりの伊達めがね。
次は、年内におさまらなかった自分へのプレゼントパソコン。
いまでたソフトバンクの売り込み姐の話きいても、これから更なるデフレ進むしかないだろう。
あの世に持っていけないリソースは、いまでしょ。
使うのは。

今日気のついたこと

SNSでずいぶんと誕生日の祝辞をいただいた。
う嬉しい悲鳴で困った。
謝辞を送ろうにも、埋没型のものも少なくなく、午後にはハングアップした。

嬉しいような悲しいような。

祝辞はもう言いようもなく祝辞なのだが。

元嫁は、シカト。
日は覚えているはずが。
幼馴染みにのGFさも似たり寄ったり。
にょしょうは恐ろしい。
より自然に近く、当たれば自然災害。

自然と思えばいろいろとわかる。
馬は水辺まで連れていけるが、水は本人が飲もうとしなければ、飲ませられない。
養老翁の常におっしゃるように、自分が変わる他ない。
そういうことを痛感した誕生日。

極々基本に気付くことができてハッピー。
なんて幸せな男なんだろう。

2015年1月5日月曜日

年男をはずれていくばくか気付いたこと

力づくで人を動かそうとしても無理。
古武術などでよく目にする、人の懐に入って相手の力を利用して飛ばすように、動くほかない。

世の殺伐さに強い自己防衛の必要性を見いだすとともに、開放的に生きなければ閉塞への悪循環を繰り返すほかないとも気付いた。
前者では強力なブロック手段を講じたとともに、後者ではさらなる新たな邂逅への志向性を自覚している。

このような一種の矛盾を繰り返しながら、練達の生き方を模索していくほかないのだろう。
まあむつかしさにたじろがぬではないが、できるところまで行ってみよう。

2015年1月4日日曜日

一里塚

まあ何とかここまで来たという意味ではめでたいのだろうが、冥途の旅の一里塚という認識は古くからある。

今日明日で、一回り+αとなる。

気がついたこと。
ひととおりやって、これは無理無駄ムラとわかれば、少なくとも撤退放置ブロックは考慮すべき。
なんちゃってコンサルをやってみて、当面ここが均衡点飽和点仮止めすべきと気がつけば、それ以上に入れ込んではならない。

ということで、明日からは少し君子豹変っぽくやってみるか。

少し入り込んでみると、むべなるかな、なにがなにしてなんとやらという巡る因果を実感することができる。
対処の仕方によっては、非常に危ないステージといえるかもしれない。

さはさりながら、あしたはあしたの風が吹く。
上手に継ぎ足歩行を続けていくほかないだろう。
自分の曝されている流れも実にリーゾナブル。
特に文句を言おうとは思っていない。

年のはじめの~♪

故郷で中学の同窓会があった。

思い、距離、ライフスタイル等々で参加できなかった。
還暦過ぎた元「ちゅうがくせい」のイベントだからハゲしいところは、おつむくらいだろう。

出世がしらや、篤実な自営業の知己も参加したようだが、声が入ってこない。
ガールフレンドもなしのつぶて。
ホンに寂しいやつらだ。

歩け歩け~♪

ひとの心配、コンサルに努めているうちに、自分の心肺機能のおちていることに気付く。

人は病気では容易に死なない。
衰えて死ぬ。
自分の痰を飲めず、つばを誤嚥して死んでいく。

ということで動くことにした。
パートナーの有無など関係ない。

昨日もカウンターにすわりアドバイスしてきた。

街を歩きつつ続ける。

今年の上半期、もっと短いか、長いか。
己の修行、働く(端楽)、仕事(事に仕える)として遂行することになるだろう。

ゴドーを待ちながら

待ちくたびれて寝落ちした。
家庭内ホームレス標榜なので、ヘビーデューティーで寝入る。
わんこらも、そこに川の字に入る。

起きて子の母に電話。
この頃はあきらめ気味に聞いている。
いろいろとアレンジ。

スマホは桜チャンネルの受信に使い、同窓会の知らせは入らず。
コンサル先のタバコ問題に言及。
跡継ぎにいろいろいれ知恵。

今日から明日から還暦+わんが始まる。
楽し。
難しいほど面白いと思えるようになった。

2015年1月3日土曜日

涙をふいて~♪

感情失禁についてはすでに書いた。

感情失禁におぼれているわけにはいかない。
聖子も清子も、泣いた後で雄雄しく戦っている。

いま、ヘイトスピーチっぽい言辞に冷静なコメント入れて、ヘイトスピーチを浴びせられたが、こちらもブロックで防戦して終えた。
女性の特性というつもりはないが、ひとのヒステリックな言辞は、右左男女老若問わずひどいはひどい。
あきらめて切り違うほかないようだ.

ということで、流した涙はすばやく拭いて戦線に復帰するほかない。

生きるということは、生きるものの命をいただき、自らを犠牲の方向に一歩進めることだ。
人間は万物の霊長の擬制で、一応死ぬまで集団の庇護のもと、擬制を貫徹しようとするがごとくである。

ばかげた、無駄に思える争闘、ヒステリーは好きではないが、上記にようなスラプスティックは多方面で逃げ隠れできない。
わが仕事の評論家、コンサルタントは、そのソフィストケーションではある。

泣けた泣けた~♪

最近感情失禁がひどい。

愛作センセイ歓迎準備で、松山千春の歌を歌っていたら嗚咽で歌えなくなり、ぼうだの涙をながした。

研究会、防災訓練がじゃっくだったが、参加者には嗚咽するかもと事前の断りを入れておいた。

当日は主賓のバタバタで旅の夜風をBGMにしただけで終わった。

新春に向けてのパワーアップ目指したタブレットでオールデイズを聞いていたら、また同じ症状。

感情失禁なんてジジババの精神症状で、自分に関係ないと思ってきた。聖子や晴子の涙はうそ泣きと嘯いてきた。
しかし、厳然とわが感情失禁、ぼうだの涙はあり流れる。
つまりは、うたごころなく来た自分もついに千春の心、たかじんの心、その他わかき日のSSWの歌心、詞の意味が、自分のトラウマ、すねの傷、哀惜の念で、やっとオーバラップできるようになったのだ。

まあ人がいれば、そう泣かない。
聞かせたいという願望もあり、働く(端楽)、仕事(事に仕える)としての矜持もあるからだ。

今進行形のペンディングの彼女のことは泣かない。
泣いている暇がないからだ。

ということで、愛作センセイと小樽センセイにご報告でした。
あらかじめ失われた恋人のごとき幼馴染みにも報告です。

君は心の妻だから~♪

人は変えられない。
自分が変わるのがせいぜい。

養老翁は、180度のずれは綱引きを生じせしめるので、90度のベクトルを勧める。
奥様が「あなたは人を見る目がないんだから」とごちると、奥様の目を見てフンフンと笑われるそうな。

ジミー大西の「おまえもな」のギャグに近い。

医師も弁護士もその他もろもろ老若男女離婚が多い。
専門職はライバル関係がきつい。
結婚自体が苦行になっている。

というわけでもないが、小生も新春のチャンスをあきらめた。
無理押しして人生の苦行をリフレインする必要も気もまったくない。

犬妻兼犬娘、犬息子とともに川の字で寝るのが最高のライフスタイルだ。

2015年1月2日金曜日

サヨナラさよならサヨナラ~♪

昨年暮れに評論家標榜を露にした。

いままで医療と法律の二刀流からはじまった。
小次郎破れたりが多かった。
武蔵のような大物とは戦わない。
雑兵が雑兵と肉弾戦をしてきた質感である。

すでに言論活動もやってきている。
自分の、業界人のあざとさも知った。

いまもコンサルティングは一刀流でやっている。

しかし、アイデンティティは、語り部だ。
歯に衣着せず語るつもり。

すでに知己を幾ばくか失った。
別に評論家を標榜するだけで、カラムニストを目指しているわけではない。
ただ、抽象的に一刀両断はせざるを得ないだろう。

さよならと、さんば術、コンサルの交錯が続くことになるだろう。

2015年1月1日木曜日

東へ西へ~♪

元旦もお節介コンサルフィールドでお節介して遊ぶ。

イデオロギーは乏しい。
養老翁のご指摘どおり思想がないという思想だ。
御利益指向、八百万、和をもって尊しとする十七条憲法が源流だ。

質の向上をあくこともなく求め、あげくブラック化。
そんなパラドクスから懊悩するサイトを紺屋高尾で染めてみたいというのが、わが異能プロジェクト。
異能もない、伊能のような、ずくもない。
あるのはなんだ、小原庄助精神ではないか。
風呂に再三再四入っては、温熱療法、水分還流のデトックス療法に興じる。

少しずつ効果を観ることができるか、それとも時流に流され一緒に溺れてしまうのか。
幼なじみも折伏はしていないが、一緒に泳ごうと粉はかけている。

この年末は、歳末と新年の移行も自覚しなかった。
いまふれあうワーキングプアは、ほぼ似たり。
おおいに結構毛だらけ。
おぼこはいかにこの年を越しただろうか。
決してあばずれではないのだよ。

ちいちいぱっぱちいぱっぱ♪

なんやいつものライフスタイル続けてるうちに元旦になった。

ええあさやん。

愛作センセイご逗留の接待所の勝手連コンサルは続く。
ワーキングプア脱却project。
過労死防止project。
ブラックブロック。
質の向上スローガンのもとのギリギリまでの劣化。

わしがやらんで誰がやるなんて自意識過剰はない。
しかし、課題になったら一丁噛みは、関西系入植者の当然の感覚や。

何でもやります。
会わせ技一本で。

みなさん今年もよろしゅうに。

年のはじめの~♪

旧年のご厚情、ご挨拶をスキップし爆睡。
いまや新年。

あけましておめでとうございます。
昨年の総括は爆睡の中の夢に消え、いまや本年をどう暮らそうと新しい年の充実に思いをめぐらせる。

昨日はワーキングプアを嘆く名ばかり店長に、別の業種の名ばかり店長に近い御仁を紹介した。
まさに年末に標榜しはじめたへっぽこ評論家、へっぽこフィクサーの道を着実に進んでいる。

愚直に応えてやれるのは、犬娘犬息子の忠犬心。
ただ、犬息子は幼いゆえに、わがスリッパや夜具を相手にストレスを発散。
愛を備給しようと思っていた者の腰引きに、結局はわんことのライフスタイルのみが強固となった。

養老福岡コンビの説法に、動的均衡というもののあわれを痛感し、スタップ細胞の有無はいまだ云々しえるかどうか問題とはいえ、スタップ現象はきっとあると確信する。
己のターンノーバーにスピリチュアルないまを見いだし、ひたすら生き死にを模索する。

生きているだけ丸儲けのこの春を寿ぐ。